・・・斯ういうように朝も晩もいろいろの事をさせられたのは、其頃下女も子守も居なかったのに、御父様は昼は家に居られないし、御母様は私の下に妹やら弟やらを抱えて居られたのでしたから是非もない事でした。然しこういうように慣らされたため今でも弟などのよう・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・「大工さんの家の娘とはもう遊ばせないッて、先刻誘いに来た時に断りましたら、今度は鞠ちゃんの方から出掛けて行きました……必と喧嘩でもしたんでしょう……石などを放って……女中でも子守でもこの辺の女は、そりゃ気が荒いんですよ……」 お島は・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・お三輪に、彼女が娵のお富に、二人の孫に、子守娘に、この家族は震災の当時東京から焼出されて、浦和まで落ちのびて来たものばかりであった。 何となく秋めいた空の色も、最早九月のはじめらしい。風も死んだ日で、丁度一年前と同じような暑い日あたりが・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ いまもなお私の耳朶をくすぐる祖母の子守歌。「狐の嫁入り、婿さん居ない。」その余の言葉はなくもがな。 太宰治 「玩具」
・・・しかも、意外にも悪く酔った。子守唄が、よくなかった。私は酔って唄をうたうなど、絶無のことなのであるが、その夜は、どうしたはずみか、ふと、里のおみやに何もろた、でんでん太鼓に、などと、でたらめに唄いだして、幸吉も低くそれに和したが、それがいけ・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・して、これは喜劇ではなく、女の生涯は、そのときの髪のかたち、着物の柄、眠むたさ、または些細のからだの調子などで、どしどし決定されてしまうので、あんまり眠むたいばかりに、背中のうるさい子供をひねり殺した子守女さえ在ったし、ことに、こんな吹出物・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・を掴みたくて血まなこになって追いかけ追いかけ、はては、看護婦、子守娘にさえ易々とできる毒薬自殺をしてしまった。かつての私もまた、この「つまり」を追及するに急であった。ふんぎりが欲しかった。路草を食う楽しさを知らなかった。循環小数の奇妙を知ら・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・と話していると、隣室から土人娘の子守歌が聞こえる。それに探偵が聞き耳を立てるところに一編の山がある。こういう例はあげれば際限なくあげられるかもしれないが、しかし概して自動車の音、ピストルの響きの紋切り形があまりにうるさく幅をきかせ過ぎて物足・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・電車で街を縦走して、とある辻から山腹の方へ広い坂道を上がって行くと、行き止まりに新築の大神宮の社がある。子守が遊んでいる。港内の眺めが美しい。この山の頂上へ登られたら更に一層の眺めであろうと思うが地図を見ても頂上への道がない。なるほどここは・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・黒んぼの子守がまっかな上着に紺青に白縞のはいった袴を着て二人の子供を遊ばせている。黒い素足のままで。 ホンコンから乗った若いハイカラのシナ人の細君が、巻煙草をふかしていた。夫もふかしていた。 三 シンガポール・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
出典:青空文庫