・・・ただ僕は筆立ての中に孔雀の羽根が二本ばかり鮮かに挿してあったのを覚えている。「じゃまた遊びに来る。兄さんによろしく。」 彼の妹は不相変赤児に乳房を含ませたまま、しとやかに僕等に挨拶した。「さようですか? では皆さんによろしく。ど・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・窓の中を覗いて見ると、几の上の古銅瓶に、孔雀の尾が何本も挿してある。その側にある筆硯類は、いずれも清楚と云うほかはない。と思うとまた人を待つように、碧玉の簫などもかかっている。壁には四幅の金花箋を貼って、その上に詩が題してある。詩体はどうも・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・蘭陵の酒を買わせるやら、桂州の竜眼肉をとりよせるやら、日に四度色の変る牡丹を庭に植えさせるやら、白孔雀を何羽も放し飼いにするやら、玉を集めるやら、錦を縫わせるやら、香木の車を造らせるやら、象牙の椅子を誂えるやら、その贅沢を一々書いていては、・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・タルシシの船や、ヒラムの船は三年に一度金銀や象牙や猿や孔雀を運んで来た。が、ソロモンの使者の駱駝はエルサレムを囲んだ丘陵や沙漠を一度もシバの国へ向ったことはなかった。 ソロモンはきょうも宮殿の奥にたった一人坐っていた。ソロモンの心は寂し・・・ 芥川竜之介 「三つのなぜ」
・・・その時分はマダ今ほど夫婦連れ立って歩く習慣が流行らなかったが、沼南はこの艶色滴たる夫人を出来るだけ極彩色させて、近所の寄席へ連れてったり縁日を冷かしたりした。孔雀のような夫人のこの盛粧はドコへ行っても目に着くので沼南の顔も自然に知られ、沼南・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・小角は孔雀明王咒を持してそういうようになったというが、なるほど孔雀明王などのような豪気なものを祈って修法成就したら神変奇特も出来る訳か知らぬけれど、小角の時はまだ孔雀明王についての何もが唐で出ていなかったように思われる。ちょっと調べてもらい・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・「孔雀だよ。いま鳴いたのは孔雀だよ。」私はそう言って、ちょっと少年のほうを振り向いてみると、少年は、あぐらの中に、どんぶりを置き、顔を伏せて、箸を持った右手の甲で矢鱈に両方の眼をこすっている。泣いている。 その時には、私は、ただ困っ・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・これは、私の小さい女の子を乳母車に乗せて、ちかくの井の頭、自然文化園の孔雀を見せに連れて行くところです。幸福そうな風景ですね。いつまで続く事か。つぎのペエジには、どんな写真が貼られるのでしょう。意外の写真が。・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・近ごろ見かけた珍しいものの一つとしてはサンスクリットで孔雀という意味の言葉を入り口の頭上の色ガラス窓にデワナガリー文字で現わしたのさえあった。ダミアンティやシャクンタラのような妖姫がサーヴするかと思わせるのもおもしろい。 こういうものの・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・祭壇の前には鉄の孔雀がある。参詣者はその背中に突き出た瘤のようなものの上で椰子の殻を割って、その白い粉を額へ塗るのだそうな。どういう意味でそうするのか聞いてもよくわからなかった。まっ黒な鉄の鳥の背中は油を浴びたように光っていた。壇に向かった・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
出典:青空文庫