・・・只如何に小説や戯曲の批評をするかと言う学問である。「諸君、先週わたしの申し上げた所は御理解になったかと思いますから、今日は更に一歩進んだ『半肯定論法』のことを申し上げます。『半肯定論法』とは何かと申すと、これは読んで字の通り、或作品の芸・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・国家の権威も学問の威光もこれを遮り停めることはできないだろう。在来の生活様式がこの事実によってどれほどの混乱に陥ろうとも、それだといって、当然現わるべくして現われ出たこの事実をもみ消すことはもうできないだろう。 かつて河上肇氏とはじめて・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・……ついぞ愚痴などを言った事のない祖母だけれど、このごろの余りの事に、自分さえなかったら、木登りをしても学問の思いは届こうと、それを繰返していたのであるから。 幸に箸箱の下に紙切が見着かった――それに、仮名でほつほつとと書いてあった。・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・るものは、国民品性の特色を備えた、在来の此茶の湯の遊技を閑却して居るは如何なる訳であろうか、余りに複雑で余りに理想が高過ぎるにも依るであろうけれど、今日上流社会の最も通弊とする所は、才智の欠乏にあらず学問の欠乏にあらず、人にも家にも品位とい・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・この鵜飼三次というは学問の造詣も深く鑑識にも長じ、蓮杖などよりも率先して写真術を学んだほどの奇才で、一と頃町田久成の古物顧問となっていた。この拗者の江戸の通人が耳の垢取り道具を揃えて元禄の昔に立返って耳の垢取り商売を初めようというと、同じ拗・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・それゆえにこの学校に三、四十人の教授がいるけれども、その三、四十人の教師は非常に貴い、なぜなればこれらの人は学問を自分で知っているばかりでなく、それを教えることのできる人であります」と。これはわれわれが深く考うべきことで、われわれが学校さえ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・博士は三人の子供が三人共学問が嫌いで、性質が悪くて家出をしたように云っているけれども、これを全く子供の罪に帰する事は出来ぬ。「妻は小学校しか卒業していない女だから、子供を虐める事は出来ない。自分が子供を叱る時には妻は一切口を出さぬ事にしてい・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・実は、おれは中等学校へは二三年通ったことはあるが、それ以上の学問は、少なくとも学校と名のつくところでは、やらなかった。当のおれが言うのだから、間違いはなかるまい。 いや、そんなことは、どうでもよい。それよりも、「丹造今日の大を成すに与っ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・「やっぱしな、工藤の兄さんも学問をし損じて頭を悪くしたか……」こう判断しているらしかった。でそうした巌丈な赭黒い顔した村の人たちから、無遠慮な疑いの眼光を投げかけられるたびに、耕吉は恐怖と圧迫とを感じた。新生活の妄想でふやけきっている頭の底・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・お前のいう通り若くて上品で、それから何だッけな、うむその沈着いていて気性が高くて、まだ入用ならば学問が深くて腕が確かで男前がよくて品行が正しくて、ああ疲労れた、どこに一箇所落ちというものがない若者だ。 たんとそんなことをおっしゃいまし。・・・ 川上眉山 「書記官」
出典:青空文庫