がくとえんごかい【学徒援護会】
学生の厚生・援護を目的とした財団法人。戦時中に軍需工場などに動員された学生・生徒の業務上の災害救済や教養指導を行う動員学徒援護会として設立。勤労学徒援護会を経て、昭和22年(1947)、学徒援護会に改称。全国の主要都市に学生相談所・学生会館を設置。学生寮・学生センターの運営、下宿・貸間・アルバイトの斡旋 (あっせん) などの事業を行った。平成元年(1989)内外学生センターに改称。平成16年(2004)、日本育英会・日本国際教育協会・国際学友会・関西国際学友会の事業を整理統合し、独立行政法人日本学生支援機構(JSSO)および財団法人日本国際教育支援協会(JEES)として改組。
がくとしゅつじん【学徒出陣】
第二次大戦末期の昭和18年(1943)以降、兵力不足を補うため、それまで26歳までの大学生に認められていた徴兵猶予を文科系学生については停止して、20歳以上の学生を入隊・出征させたこと。
がくとどういん【学徒動員】
日中戦争以後、国内の労働力不足を補うために学生・生徒を工場などで強制的に労働させたこと。昭和13年(1938)年間数日の勤労奉仕が実施されて以来、戦況の悪化につれて動員体制が強化され、昭和19年(1944)には通年動員となった。
出典:青空文庫
・・・に生を享けて、しかも学徒としての境遇におかれたインテリゲンチャの・・・ 倉田百三「学生と教養」
・・・どちらもピサゴラスの学徒と言って、ピサゴラスという、ずっと昔にい・・・ 鈴木三重吉「デイモンとピシアス」
・・・真理追及の学徒ではなしに、つねに、達観したる師匠である。かならず・・・ 太宰治「古典竜頭蛇尾」
出典:gooニュース
函館の「学徒出陣」一冊に 七飯の郷土史家・浅利さんら 当時の新聞など「平和教育つなげる」
郷土史家の浅利政俊さん(93)=七飯町=や元教員ら4人が、太平洋戦争中の「学徒出陣」に関する道内の新聞記事をまとめた冊子を作成した。教育現場で活用してもらおうと、学徒出陣について函館市内の中学校で授業した内容も記載。浅利さんは「函館からも学生が戦地に送られた。郷土の歴史を学び、伝える努力を続けたい」と語る。...
宣戦布告、学徒動員…克明に 長崎・大村高に戦時中の教務日誌 旧制中学、高等女学校で書かれる
太平洋戦争開戦の日の米国への宣戦布告、学徒動員、大村大空襲、玉音放送などの状況が端的ながらも克明に記録され、学生生活に戦争が浸透していった時代のありようをうかがい知ることができる。 同校は江戸時代の藩校の系譜を受け継ぎ、今年で創立140周年を迎えた。校内には明治以降の資料が保管されている。
カジマヤー迎えた元ひめゆり学徒 薄れゆく体験つづり
沖縄戦で看護要員として動員された元ひめゆり学徒の川平カツさん。今年カジマヤーを迎え、記憶が薄れゆくなかで家族とともにまとめた一冊の本ができあがりました。そこにはカツさんしか知りえない目をそむけたくなるような戦場の記憶が綴られていました。今年6月23日の慰霊の日。糸満市にあるひめゆりの塔の慰霊祭に参列したのは元ひめゆり学徒の川平カツさん、96歳です。
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