・・・藤岡にはコオエンの学説よりも、待合の方が難解なりしならん。恒藤はそんな事を知らざるに非ず。知って而して謹厳なりしが如し。しかもその謹厳なる事は一言一行の末にも及びたりき。例えば恒藤は寮雨をせず。寮雨とは夜間寄宿舎の窓より、勝手に小便を垂れ流・・・ 芥川竜之介 「恒藤恭氏」
・・・学者もしくは思想家の学説なり思想なりが労働者の運命を向上的方向に導いていってくれるものであるとの、いわば迷信を持っていた。そしてそれは一見そう見えたに違いない。なぜならば、実行に先立って議論が戦わされねばならぬ時期にあっては、労働者は極端に・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・社会科学としては、それも重きをなす学説にちがいありません。そして、それを信ずることは、その人の勝手です。しかし、芸術には、その他の場合があるばかりでなく、芸術本来の精神は、もっと自由なものであり、その自由の教化に於てこそ存在の理由があるのだ・・・ 小川未明 「作家としての問題」
・・・吉田はいつか不眠症ということについて、それの原因は結局患者が眠ることを欲しないのだという学説があることを人に聞かされていた。吉田はその話を聞いてから自分の睡むれないときには何か自分に睡むるのを欲しない気持がありはしないかと思って一夜それを検・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・邦文には吉田博士の『倫理学史』、三浦藤作の『輓近倫理学説研究』等があるが、現代の倫理学、特に現象学派の倫理学の評述にくわしいものとしては高橋敬視の『西洋倫理学史』などがいいであろう。しかしある人の倫理学はその人の一般哲学根拠の上に築かれない・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・その人の仕事や学説が九十九まで正鵠を得ていて残る一つが誤っているような場合に、その一つの誤りを自認する事は案外速やかでないものである。一方、無批判的な群小は九十九プロセントの偉大に撃たれて一プロの誤りをも一緒に呑み込んでしまうのが通例である・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
・・・科学上の新知識、新事実、新学説といえども突然天外から落下するようなものではない。よくよく詮議すればどこかにその因って来るべき因縁系統がある。例えば現代の分子説や開闢説でも古い形而上学者の頭の中に彷徨していた幻像に脈絡を通じている。ガス分子論・・・ 寺田寅彦 「科学上の骨董趣味と温故知新」
・・・水甕の素材は二度と使えなくても、学説や理論の素材はいつでもまた使える。こういうふうに考えて来ると学問の素材の供給者が実に貴いものとして後光を背負って空中に浮かみ上がり、その素材をこねてあまり上できでもない品物をひねり出す陶工のほうははなはだ・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・の鎖も見付からないのである。青い芋虫と真紅の肉片、家鴨と眇目の老人では心像の変形が少しひど過ぎるが、しかしこの偶然な一と朝の経験から推して考えてみるとフロイドの「夢判断」の学説も、そのことごとくが全くの故事付けではないかもしれないという気が・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・しかしたとえこれに関して科学者がどんな研究をしようとも、いかなる学説を立てようとも、青葉の美しさ、鰹のうまさには変りはなく、時鳥の声の喚び起す詩趣にもなんら別状はないはずであるが、それにかかわらずもしや現代が一世紀昔のように「学問」というも・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
出典:青空文庫