・・・鏡の裏なる狭き宇宙の小さければとて、憂き事の降りかかる十字の街に立ちて、行き交う人に気を配る辛らさはあらず。何者か因果の波を一たび起してより、万頃の乱れは永劫を極めて尽きざるを、渦捲く中に頭をも、手をも、足をも攫われて、行くわれの果は知らず・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・人々は各ニイチェの多様質の宇宙の中から、夫々の部分をとつて自家の食餌にしてゐる故、見方によればそのすべてがニイチェズムでもあるけれども、同様にまた、そのすべてがニイチェズムでないのである。甚だしきは独逸近代の軍国主義さへも、ニイチェの影響だ・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・されば意の未だ唱歌に見われぬ前には宇宙間の森羅万象の中にあるには相違なけれど、或は偶然の形に妨げられ或は他の意と混淆しありて容易には解るものにあらず。斯程解らぬ無形の意を只一の感動に由って感得し、之に唱歌といえる形を付して尋常の人にも容易に・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・芭蕉は連句において宇宙を網羅し古今を翻弄せんとしたるにも似ず、俳句にはきわめて卑怯なりしなり。 蕪村の理想を尚ぶはその句を見て知るべしといえども、彼がかつて召波に教えたりという彼の自記はよく蕪村を写し出だせるを見る。曰く其角を尋・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・それから博士は俄かに手を大きくひろげて「げにも、かの天にありて濛々たる星雲、地にありてはあいまいたるばけ物律、これはこれ宇宙を支配す。」と云いながらテーブルの上に飛びあがって腕を組み堅く口を結んできっとあたりを見まわしました。 学生・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・草木が宇宙の季節を感じるように、一日に暁と白昼と優しい黄昏の愁があるように、推移しずにはいません。いつか或るところに人間をつき出します。それが破綻であるか、或いは互いに一層深まり落付き信じ合った愛の団欒か、互いの性格と運とによりましょが、い・・・ 宮本百合子 「愛は神秘な修道場」
・・・ 宇宙の間で、これまでサフランはサフランの生存をしていた。私は私の生存をしていた。これからも、サフランはサフランの生存をして行くであろう。私は私の生存をして行くであろう。 森鴎外 「サフラン」
・・・此の恐るべき文学の包括力が、マルクスをさえも一個の単なる素材となすのみならず、宇宙の廻転さえも、及び他の一切の摂理にまで交渉し得る能力を持っているとするならば、われわれの文学に対する共通の問題は、一体、いかなる所にあるのであろうか。それは、・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
・・・この北国神話の中の神のような人物は、宇宙の問題に思を潜めている。それでも稀には、あの荊の輪飾の下の扁額に目を注ぐことがあるだろう。そしてあの世棄人も、遠い、微かな夢のように、人世とか、喜怒哀楽とか、得喪利害とか云うものを思い浮べるだろう。し・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・神話時代には天皇は、宇宙の主宰者たる天照大神の代表者であった。天照大神は信仰の対象であって現実的に経験のできるものでない。それは理論的に言えば一切のものの根源たる一つの理念である。この理念の代表者或いは象徴であるがゆえに神聖な権威があったの・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫