・・・所詮下手は下手なりに句作そのものを楽しむより外に安住する所はないと見える。おらが家の花も咲いたる番茶かな 先輩たる蛇笏君の憫笑を蒙れば幸甚である。 芥川竜之介 「飯田蛇笏」
・・・が、将来にあこがれるよりもむしろ現在に安住しよう。――保吉は予言者的精神に富んだ二三の友人を尊敬しながら、しかもなお心の一番底には不相変ひとりこう思っている。 大森の海から帰った後、母はどこかへ行った帰りに「日本昔噺」の中にある「浦島太・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・ しかし、さういふ不愉快な町中でも、一寸した硝子窓の光とか、建物の軒蛇腹の影とかに、美しい感じを見出すことが、まあ、僕などはこんなところにも都会らしい美しさを感じなければ外に安住するところはない。 広重の情趣 尤も、今の東京・・・ 芥川竜之介 「東京に生れて」
・・・その時そこに安住の地を求めて、前にも後ろにも動くまいと身構える向きもあるようだ。その向きの人は自分の努力に何の価値をも認めていぬ人と言わねばならぬ。余力があってそれを用いぬのは努力ではないからである。その人の過去はその人が足を停めた時に消え・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・ 政治や外交や二葉亭がいわゆる男子畢世の業とするに足ると自ら信じた仕事でも結局がやはり安住していられなくなるのは北京の前轍に徴しても明かである。最後のペテルスブルグ生活は到着早々病臥して碌々見物もしなかったらしいが、仮に健康でユルユル観・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・また曰く、人生の興味は不可解である、この不可解に或る一定の解釈を与えて容易に安住するは「あきらめ」でなければイグノランスであると。かくの如くして二葉亭の鉄槌は軽便安直なドグマや「あきらめ」やイグノランスを破壊すべく常に揮われたのである。・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・極端に言えば、旧文化に安住している人々には、又その時代の感情に陶酔し、享楽している人々には、ほんとうの意味の詩はない筈である。 子守唄は子供を寝かしつけるための歌であり、又舟乗りの唄は、舟をこぐ苦労を忘れるための歌であり、糸とりの唄はた・・・ 小川未明 「詩の精神は移動す」
・・・一日も安住を許されない。その主張は、日々にあらたに、また日にあらたでなければならぬ。日本に於いて今さら昨日の軍閥官僚を罵倒してみたって、それはもう自由思想ではない。それこそ真空管の中の鳩である。真の勇気ある自由思想家なら、いまこそ何を措いて・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・が何月何日ごろに当たるであろうということを的確に予知することは今の地震学では到底不可能であるので、そのおかげで台湾島民は烈震が来れば必ずつぶれて、つぶれれば圧死する確率のきわめて大きいような泥土の家に安住していたわけである。それでこの際そう・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・絶対的安住の世界が得られないまでも、せめて相対的の確かさを科学の世界に求めたい。 こういう意味で私は、同じような不安と要求をもっている多くの人に、理学の系統の中でもことにアインシュタインの理論のごときすぐれたものの研究をすすめたい。多く・・・ 寺田寅彦 「相対性原理側面観」
出典:青空文庫