・・・そうした夜は夜ふけるまでその話を分析したり総合したりして、最後に、その先輩と自分との境遇の相違という立場から、二人のめいめいの病気に対する処置をいずれも至当なものとして弁明しうるまで安眠しない事もあった。またたとえばある日たずねて来た二人が・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・ 七 ポートセイドからイタリアへ四月二十九日 昨夜おそく床にはいったが蒸し暑くて安眠ができなかった。……際限もなく広い浅い泥沼のような所に紅鶴の群れがいっぱいいると思ったら、それは夢であった。時計を見ると四時・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・一昼夜に五、六回の噴出を、色々な器械を使って観測するのであるが、一回の噴出に約二時間もかかる上に噴出前の準備があり噴出後の始末もあるので、夜もおちおち安眠は出来なかった。自然の不可思議な機構を捜る喜びと、本能の欲求する睡眠を抑制するつらさと・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・とか、あるいはまた「食わない方が胃のためによく、安眠が出来るから」とか書いているかと思うと、またアリストテレスの書物を引用して、「豆は生殖器に似ているから、あるいはまた地獄の門のように、ひとりでつがい目が離れて開くから」ともある。何のことか・・・ 寺田寅彦 「ピタゴラスと豆」
○先日徹夜をして翌晩は近頃にない安眠をした。その夜の夢にある岡の上に枝垂桜が一面に咲いていてその枝が動くと赤い花びらが粉雪のように細かくなって降って来る。その下で美人と袖ふれ合うた夢を見た。病人の柄にもない艶な夢を見たものだ。〔『ホ・・・ 正岡子規 「夢」
・・・どうか呉々もお大切に。安眠なさるよう切望いたします。 九月十三日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より〕 今日の午後手紙を書いて、夜テーブルの横を見たら一枚私の字の書いてある紙がおっこちている、何だろうと思って見ると、手紙の・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・彼女は、今、彼方の部屋で、広い寝台の上に安眠して居るだろう彼の様子を心に描いて見た。 母の書を思い遣る時、自ずから、彼女の胸を満たす、無限に静穏な感謝が、鎮まった夜の空気に幽にも揺曳して、神の眠りに入った額へ、唇へ漂って行きそうな心持が・・・ 宮本百合子 「樹蔭雑記」
・・・朝八時までに食事の仕度をしてやり、それから昼前後までが彼女の安眠の時間であった。それ故、はる子のところへ遊びに来るのは午後だ。はる子も寝坊な女であったから、それは好都合だが、一寸話すともう四時すぎる。千鶴子は三十分位で帰らなければならない時・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・ 安眠が出来ないまんま朝早く起きると変な工合に雪が積って居るのを見つけた。北からのひどい吹雪だったのですべて北に面した方ばかりに吹きよせられた雪が積って居る。前の庭の彼方を区切って居る低い堤には外側の方がひどく白くなり立木の皆がそうであ・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・「苦しい借金を免れ、母から借りた金を返すために生涯の間休息も安眠も出来ず働かなければならない」端目に陥ったのである。「経済の安易を求めて却ってその困窮を招いた」わけである。 多くの伝記者は、バルザックが常に好んで「私の借金、私の債権者ど・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
出典:青空文庫