・・・そうして、その小説にはゆるぎなき首尾が完備してあって、――私もまた、そのような、小説らしい小説を書こうとしていた。私の中学時代からの一友人が、このごろ、洋装の細君をもらったのであるが、それは、狐なのである。化けているのだ。私にはそれがよくわ・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・ 案内記が系統的に完備しているという事と、それが読む人の感興をひくという事とは全然別な事で、むしろ往々相容れないような傾向がある。いわゆる案内記の無味乾燥なのに反してすぐれた文学者の自由な紀行文やあるいは鋭い科学者のまとまらない観察記は・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・実際書いてみるまではほとんど完備したつもりでいるのが、さていよいよ書きだしてみると、書くまでは気のつかないでいた手ぬかりや欠陥がはっきり目について来る。そうして、その不備の点を補うためにさらに補助的研究を遂行しなければならないようになること・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ そうした材料を得るための観測施設は個人や小団体の力で出来ることではなくて、結局国家政府の相当熱心な努力によって始めて完備し得ることである。しかもこの種の観測事業は一年や二年で完了するものでなく、永年にわたって極めて持久的に系統的に行っ・・・ 寺田寅彦 「新春偶語」
・・・暴風や雷雨に対しては中央気象台に研究予報の機関が完備している。これらの設備の中にはいずれも最高の科学の精鋭を集めた基礎的研究機関を具備しているのである。しかるにまだ日本のどこにも一つの理化学的火災研究所のある話を聞いた覚えがないのである。・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・学理通り飛行機が自分を乗せて動いてくれたところで、始めて形式に中味がピッタリ喰っついている事を証明するのだから、経験の裏書を得ない形式はいくら頭の中で完備していると認められても不完全な感じを与えるのであります。 して見ると、要するに形式・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・されば高等学校がベースボールにおける経歴は今日に至るまで十四、五年を費せりといえどもややその完備せるは二十三、四年以後なりとおぼし。これまでは真の遊び半分という有様なりしがこの時よりやや真面目の技術となり技術の上に進歩と整頓とを現せり。少く・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・ 軍備の完備した国家は、自国を防禦する筈のその軍力を以て祖国を失ってしまいます。 物質の豊かな国民は、その豊かな物質に首を絞められます。 斯様にして、権利を所有するが為に却って、魂を汚す彼女等は、同時に又その豊かな――そして其を・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ こんな完備した設備の産院は日本ではじめてばかりではない。東洋一だ。「失業と多産のためにほとんど飢餓にひんしているこの階級の親たちにとっては全く天来の福音である」と新聞の記事はかきたてている。 プロレタリアートの姉妹たち! われ・・・ 宮本百合子 「「市の無料産院」と「身の上相談」」
・・・ この前後に小林秀雄が評論家として生い立って来たということもまたまことに時代的な特徴を完備している。「批評とは己れの夢を語ることだ」というのが、当時の小林秀雄の思想の背景であって「あらゆる人間的真実の保証を、それが人間的であるということ・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
出典:青空文庫