・・・いう風ですなという固着観念を、猫も杓子も持っていて、私はそんな定評を見聴きするたびに、ああ大阪は理解されていないと思うのは、実は大阪人というものは一定の紋切型よりも、むしろその型を破って、横紙破りの、定跡外れの脱線ぶりを行う時にこそ真髄の尻・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・これが定跡だ。誰がさしてもこうだ。名人がさしてもヘボがさしても、この二手しかない。端の歩を突くのは手のない時か、序盤の駒組が一応完成しかけた時か、相手の手をうかがう時である。そしてそれも余程慎重に突かぬと、相手に手抜きをされる惧れがある。だ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・それがこの数年の定跡であった。 ところが今日はどういうものであろう。その一眼が自分には全く与えられなかった。夫はまるで自分というものの居ることを忘れはてているよう、夫は夫、わたしはわたしで、別々の世界に居るもののように見えた。物は失われ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・それが定跡です。この竿は鮎をねらうのではない、テグスでやってあるけれども、うまくこきがついて順減らしに細くなって行くようにしてあります。この人も相当に釣に苦労していますね、切れる処を決めて置きたいからそういうことをするので、岡釣じゃなおのこ・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・などでも日本映画としては相当進歩したものではあろうが、しかし配役があまりに定石的で、あまりに板につき過ぎているためにかえってなんとなくステールな糠味噌のようなにおいがして、せっかくのネオ・リアリズムの「ネオ」がきかなくなるように感ぜられた。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
出典:青空文庫