・・・それで宜しい。けっして純粋な生一本の動機からここに立って大きな声を出しているのではない。この暑さに襟のグタグタになるほど汗を垂らしてまで諸君のために有益な話をしなければ今晩眠られないというほど奇特な心掛は実のところありません。と云ったところ・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・「あなたもうそんなにお宜しいので御座いますか。この前お目にかかった時と御形容なんどがたいした違いで御座います。」「病気ですか、病気なんかもう厭き厭きしましたから、去年の暮にすっかり暇をやりましたヨ。今朝起きて見たら手や足が急に肥えて何でも十・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・「演習をこれからやります。終りっ。」 楢夫はすっかり面白くなって、自分も立ちあがりましたが、どうも余りせいが高過ぎて、調子が変なので、又座って云いました。「宜しい。演習はじめっ。」 小猿の大将がみんなへ云いました。「これ・・・ 宮沢賢治 「さるのこしかけ」
・・・私は自分の親と自身がそれを持って居ないのを知るだけだ――宜しい。 それから女医学生は質問した。――貴方は饑えたことはないか? 饑えたことはないか。――否と答えたが、この入沢内科ではきくことのないであろう単純な質問は自分に強烈・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・もう沢山自由公債に応じた人でも、こうした少年や少女達の可憐なすすめに逢うと、「宜しい。さあ、いれましょう」といって、洋服のポケットに手を入れるのを見うけました。入れる人も気持がいいのです。 私が街を通っておるときにも、よく「・・・ 宮本百合子 「わたくしの大好きなアメリカの少女」
・・・ 花房は佐藤の卓の上から取って渡す聴診器を受け取って、臍の近処に当てて左の手で女の脈を取りながら、聴診していたが「もう宜しい」と云って寝台を離れた。 女は直ぐに着物の前を掻き合せて、起き上がろうとした。「ちょっとそうして待ってい・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・「宜しい。詞はどうでも好い。その位な事は僕にも分かっている。僕のかく画だって、実物ではないが、今年も展覧会で一枚売れたから、慥かに多少の価値がある。だから僕の画を本当だとするには、異議はない。そこでコム・シィはどうなるのだ。」「まあ・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・これで三杯ぐらいが丁度宜しいので。」 別当はぎょろっとした目で、横に主人を見て、麦箱の中に抛り込んである、縁の虧けた轆轤細工の飯鉢を取って見せる。石田は黙って背中を向けて、縁側のほうへ引き返した。 花壇の処まで帰った頃に、牝鶏が一羽・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・ 私の心持を何という詞で言いあらわしたら好いかと云うと、resignation だと云って宜しいようです。私は文芸ばかりでは無い。世の中のどの方面においてもこの心持でいる。それで余所の人が、私の事をさぞ苦痛をしているだろうと思っている時・・・ 森鴎外 「Resignation の説」
・・・人間が十人集れば、一人ぐらいは、狂人が混じっていると思っても、宜しいでしょう。」「そうすると、今の日本には、少しおかしいのが、五百万人ぐらいはいると思っても、さしつかえありませんね、あはははははは――」 笑う声が薄気味わるく夜の灯火・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫