・・・「毛頭、お掛値はございやせん。宜しくばお求め下さいやし、三銭でごぜいやす。」「一銭にせい、一銭じゃ。」「あッあ、推量々々。」と対手にならず、人の環の底に掠れた声、地の下にて踊るよう。「お次は相場の当る法、弁ずるまでもありませ・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ハッと思って女中を呼んで聞くと、ツイたった今おいでになって、先刻は失礼した、宜しくいってくれというお言い置きで御座いますといった。 考えるとコッチはマダ無名の青年で、突然紹介状もなしに訪問したのだから一応用事を尋ねられるのが当然であるの・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・を敬慕しておる、何卒か貴所も自分のため一臂の力を借して、老先生の方を甘く説いて貰いたい、あの老人程舵の取り難い人はないから貴所が其所を巧にやってくれるなら此方は又井下伯に頼んで十分の手順をする、何卒か宜しく御頼します。 但し富岡老人に話・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・お母上にも宜しく……それでは明日。」 二人は分れんとして暫時、立止った。「あア、明日お出になる時、お花を少し持て来て下さいませんか、何んでも宜いの。仏様にあげたいから」 とお秀は云い悪くそうに言った。「此頃は江戸菊が大変よく・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・ただ馬琴は左母二郎の軽薄※巧で宜しくない者であることを示して居るに反して、他の片々たる作者輩は左母二郎を、意気で野暮でなくって、物がわかった、芸のある、婦人に愛さるべき資格を有して居る、宜しいものとして描いて居るのです。彼の芝居で演じます『・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・「何卒、御逢いでしたら宜しく」「ああ」 そこそこにして原は出て行った。 その日は、人の心を腐らせるような、ジメジメと蒸暑い八月上旬のことで、やがて相川も飜訳の仕事を終って、そこへペンを投出した頃は、もう沮喪して了った。いつで・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・吉田さんへも宜しく御伝え下され度、小生と逢っても小生が照れぬよう無言のうちに有無相通ずるものあるよう御取はからい置き下され度、右御願い申しあげます。なお、この事、既に貴下のお耳に這入っているかも知れませんが、英雄文学社の秋田さんのおっしゃる・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・卓の両側に陣取った御客様の前に来るごとに、宜しく召上がれと停車する。この給仕車の進退を食卓の片隅でやっていた主人役は、その学校の教授某先生であったという話である。 磁石に感ぜぬ鉄の合金 一に一を加えて二になるのは当・・・ 寺田寅彦 「話の種」
・・・この時の女の顔は不思議な美しさに輝いて、涼しい眼の中に燃ゆるような光は自分の胸を射るかと思ったが、やがて縁側に手をついて、宜しくば風呂を御召しあそばせと云った時はもう平生のお房であった。女が去った後自分は立って雨戸を一枚あけて庭を見た。霧の・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・古くからいる女が僕等のテーブルにお民をつれてきて、何分宜しくと言って引合せたので、僕等は始めて其名を知ったわけである。始て見た時年は二十四五に見えたが、然しその後いくつだときいた時、お民は別に隠そうともせず二十六だと答えた。他の女給仕人のよ・・・ 永井荷風 「申訳」
出典:青空文庫