・・・それはいくらも実例のあることだが公けにすべき事ではないから、こゝに挙げることは差し控える。それから、僕自身に関したことでいうと、仕事の上のことで、随分今迄に菊池に慰められたり、励まされたりしたことが多い。いや、口に出してそう言われるよりも、・・・ 芥川竜之介 「合理的、同時に多量の人間味」
・・・クロポトキンが相互扶助論の中に、蟹も同類を劬ると云う実例を引いたのはこの蟹である。次男の蟹は小説家になった。勿論小説家のことだから、女に惚れるほかは何もしない。ただ父蟹の一生を例に、善は悪の異名であるなどと、好い加減な皮肉を並べている。三男・・・ 芥川竜之介 「猿蟹合戦」
・・・ 矜誇 我我の最も誇りたいのは我我の持っていないものだけである。実例。――Tは独逸語に堪能だった。が、彼の机上にあるのはいつも英語の本ばかりだった。 偶像 何びとも偶像を破壊することに異存を持っている・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・しかしまたある動物学者の実例を観察したところによれば、それはいつも怪我をした仲間を食うためにやっていると云うことです。僕はだんだん石菖のかげに二匹の沢蟹の隠れるのを見ながら、M子さんのお母さんと話していました。が、いつか僕等の話に全然興味を・・・ 芥川竜之介 「手紙」
・・・(○註に、けわい坂と洒落れつつ敬意を表した、著作の実例がある。遺憾ながら「嬉しいですわ。」とはかいてない。けれども、その趣はわかると思う。またそれよりも、真珠の首飾見たようなものを、ちょっと、脇の下へずらして、乳首をかくした膚を、お望みの方・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・デンマークは実にその善き実例であります。 第二は天然の無限的生産力を示します。富は大陸にもあります、島嶼にもあります。沃野にもあります、沙漠にもあります。大陸の主かならずしも富者ではありません。小島の所有者かならずしも貧者ではありません・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・ 要するに是等の実例を挙げて、そのいかにして、よってかくの如き結果を生ずるか、批評の鋭いものがなかったから、芸術家としての良心は、必ず満足するものではない。 ブルジョア作家は、その憂愁と倦怠とが、何によって来るかをもっと深く考えなけ・・・ 小川未明 「何を作品に求むべきか」
・・・ちゃんと実例が証明してるやないか」 そして私の方に向って、「なあ、そうでっしゃろ。違いまっか。どない思いはります?」 気がつくと、前歯が一枚抜けているせいか、早口になると彼の言葉はひどく湿り気を帯びた。「…………」 私は・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・僕も職掌柄いろ/\な実例も見て来てるがね、君もうっかりしとると、そんなことでは君、生存が出来なくなるぜ!」 警部の鈍栗眼が、喰入るように彼の額に正面に向けられた。彼はたじろいだ。「……いや君、併し、僕だって君、それほどの大変なことに・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・原などは余り経費がかかり過ぎるなんて理窟を並べたが、こういう実例が上ってみると文句はあるまい。全体大切な児童を幾百人と集るのだもの、丈夫な上に丈夫に建るのが当然だ。今日一つ原に会ってこの新聞を見せてやらなければならん」「無闇な事も出来ま・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
出典:青空文庫