・・・それは自己自身を表現する実在、歴史的実在に対する「サンス」である。そういう意味においては、かかる立場から世界を見るのはモンテーンが先駆をなしたということができるであろう。彼は実に非哲学者的な哲学者である。日常的題目を日常的に論じた彼の『エッ・・・ 西田幾多郎 「フランス哲学についての感想」
・・・つまり前に見た不思議の町は、磁石を反対に裏返した、宇宙の逆空間に実在したのであった。 この偶然の発見から、私は故意に方位を錯覚させて、しばしばこのミステリイの空間を旅行し廻った。特にまたこの旅行は、前に述べたような欠陥によって、私の目的・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・何で死が現われて来て、こうまざまざと世の様を見せてくれねばならぬのか。実在のものが儚い思出の影のように見えるまで、真の生活の物事にこの心を動かさねばならぬのか。何故お前の弾いた糸の音が丁度石瓦の中に埋められていた花のように、意識の底に隠れて・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・じつにこれは著者の心象中に、このような状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。そこでは、あらゆることが可能である。人は一瞬にして氷雲の上に飛躍し大循環の風を従えて北に旅することもあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語る・・・ 宮沢賢治 「『注文の多い料理店』新刊案内」
・・・どんな虚構、どんな作為のファンタジーにしても、それが文学として実在し、読者の心に実在感をもってうけいれられるためには、力をつくして、そのファンタジーや、ディフォーメーションにそのものとしての現実性を与えることに努力しているのである。〔一・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・ 葉子というこの作の主人公が、信子とよばれたある実在の婦人の生涯のある時期の印象から生れているということはしばしば話されている。 作者が二十六歳位の時分、当時熱烈なクリスチャンであった彼は日記をよくつけているが、その中にこういう箇所・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・今のところ、まるでその実在性を念頭においてさえもいないように見える。保守の党が中央部、又は執行機関に婦人代議士を一人も包括しようとしていないばかりか、社会党も、婦人代議士は婦人部で、という風で、一政党の政策というよりも社会政策的な婦人部案を・・・ 宮本百合子 「一票の教訓」
・・・「あれは摂津国屋藤次郎と云う実在の人物だそうだよ」と。モデエルと云う語はこう云う意味にはまだ使われていなかった。 この津藤セニョオルは新橋山城町の酒屋の主人であった。その居る処から山城河岸の檀那と呼ばれ、また単に河岸の檀那とも呼ばれた。・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・むしろ微妙な数限りのないムラがあればこそ、実在性の豊かな美しさが現われて来るのである。しかし日本絵の具で絹の上に、あるいは金箔の上に、洋画の静物の背景のようなムラのある塗り方をしたらどうなるだろう。それが不可能であることを承知していればこそ・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・それは人の心を甚深なる実在の奥秘に引き寄せながら、しかも恐怖を追い払う強大な力を印象する。そこには線の太い力の執拗な格闘がある。しかしすべての争闘は結局雄大な調和の内に融け込んでいる。それは相戦う力が完全な権衡に達した時の崇高な静寂である。・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
出典:青空文庫