・・・私は坂口安吾が実生活では嘘をつくが、小説を書く時には、案外真面目な顔をして嘘をつくまいとこれ努力しているとは、到底思えない。嘘をつく快楽が同時に真実への愛であることを、彼は大いに自得すべきである。由来、酒を飲む日本の小説家がこの間の事情にう・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・私は作品に於いてよりも、実生活に就いて、また、私の性格、体質に就いての悪評に於いて、破れかけたのであるから、いま、ひとつのフィクションを物語るにあたっても、これだけの用心が必要なのである。フィクションを、フィクションとして愛し得る人は、幸い・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・ 子供の時から僧になった人とちがって、北面武士から出発し、数奇の実生活を経て後に頭を丸めた坊主らしいところが到る処に現われている。そうしてそういう人間が、全く気任せに自由に「そこはかとなく」「あやしう」「ものぐるほしく」矛盾も撞着も頓着・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・大抵のイズムはこの点において、実生活上の行為を直接に支配するために作られたる指南車というよりは、吾人の知識欲を充たすための統一函である。文章ではなくって字引である。 同時に多くのイズムは、零砕の類例が、比較的緻密な頭脳に濾過されて凝結し・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・哲学者とか科学者というものは直接世間の実生活に関係の遠い方面をのみ研究しているのだから、世の中に気に入ろうとしたって気に入れる訳でもなし、世の中でもこれらの人の態度いかんでその研究を買ったり買わなかったりする事も極めて少ないには違ないけれど・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・だからして中味を持っているものすなわち実生活の経験を甞めているものはその実生活がいかなる形式になるかよく考える暇さえないかも知れないけれども、内容だけはたしかに体得しているし、また外形を纏める人は、誠に綺麗に手際よく纏めるかも知れぬけれども・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・あんなに歌の上では、自分の生活を呪ったり悲しんだりしているが、実生活の上では、まだ富の誇りに妥協して、二重な望みに生きているのだという気がして、私はいつでも、あの方の歌を拝見する度に、ある小さな不満を感じて居りました。が、今度の事件をみます・・・ 宮本百合子 「行く可き処に行き着いたのです」
・・・いわれるごくひろい気持の上で経験されているこのような相剋は、女性がますます社会的な活動にひき出されて来ている今日、若い世代の生活感情にとってあるいは時代的な不幸としての性格をもつものではないかと思う。実生活の困難がますます加わって来るにつれ・・・ 宮本百合子 「異性の友情」
・・・と安心し、大衆の実生活が内包する革命性の豊富さに対するオルグとしての自己の実践の貧弱さ、誤謬はそれなりに飛び越えてしまっている。きわめて非マルキシスト的な態度である。「樹のない村」の検討において特に作家とオルグ的活動についての分裂的認識・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・これを一つの例としてみてもすべての神話はその神話のつくられた時代の実生活とその社会的な根拠から湧き出ているということがわかる。ヨーロッパの封建時代、中世にはいろいろな騎士物語がある。騎士物語が近代小説の濫觴となっているのだが、なかで有名なラ・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
出典:青空文庫