出典:gooニュース
【実録 竜戦士たちの10・8】(58)新加入の野中徹博がオープン戦2連勝 一方、巨人・長嶋茂雄はうめいていた
◇長期連載【第2章 それぞれの再出発】 1994年の3月3日に沖縄・石川キャンプを打ち上げた中日ナインは空路、宮崎県串間市に移動。監督の高木守道も現役最後の2年(79、80年)、汗を流した地で2次キャンプを張りながら、5日にロッテとオープン戦を戦った。 「去年、台湾で15勝したけど、そのうち6勝がこんな感じだったんですよね」。不思議そうに首をかしげながらも笑みがこぼれたのは
【実録 竜戦士たちの10・8】(57)中日・高木監督のキャンプの評価に「点数はつけられん」”白紙採点”に込めた周囲へのメッセージ
◇長期連載【第2章 それぞれの再出発】 いざ動き出せば、プロ野球の1年は駆け足で過ぎていく。1994年も3月2日に巨人が宮崎での1軍キャンプを打ち上げ、翌3日に中日も沖縄・石川でのキャンプを打ち上げた。 しかし、一本締めの音頭をとる巨人の選手会長・吉村禎章を取り巻く選手の輪に落合博満の姿はなかった。実は、落合の母・ユキが2月28日深夜、脳出血のため秋田市内の病院で死去
【実録 竜戦士たちの10・8】(56)落合博満の”指定席”だった4番にパウエル 文字通りの一発回答
◇長期連載【第2章 それぞれの再出発】 1994年、中日のオープン戦初勝利は2月27日の沖縄・石川球場での日本ハム戦。この日も先発の小島弘務が2回に3失点する苦しい展開となったが、反撃の口火を切ったのは過去7年間、落合博満の”指定席”だった4番に入ったパウエルだった。 4点を追う4回。日本ハム・足立亘の変化球を捉えた打球は左翼場外へ。「ホームランは関係ない。(自分にとって
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