・・・ 温泉宿の客引きだった。頭髪が固そうに、胡麻塩である。 こうして客引きが出迎えているところを見ると、こんな夜更けに着く客もあるわけかとなにかほっとした。それにしても、この客引きのいる宿屋は随分さびれて、今夜もあぶれていたに違いあるま・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・旅館の客引きの手をしょんぼり振り切って、行李を一時預けにすると、寄りそうて歩く道は、しぜん明るい道を避けた。良いところだとはきいてはいたが夜逃げ同然にはるばる東京から流れて来れば、やはり裏通の暗さは身にしみるのだった。湯気のにおいもなにか見・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・宿の客引きである。「よし、行こう。」「どこへですか?」老いた番頭のほうで、へどもどした。私の語調が強すぎたのかも知れない。「そこへ行くのさ。」私は番頭の持っている提燈を指さした。福田旅館と書かれてある。「はは。」老いた番頭は・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・ 荒物屋駄菓子屋の店先に客引きの意味でかかっている写真の顔が新聞やビラの広告に頻繁に現われる。聞いてみるとそれがみんな活動俳優のいわゆるスターだそうである。幕末勇士などに扮した男優の顔はいかなる蛮族の顔よりもグロテスクで陰惨なものである・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・目についた相違はと言えば、機関車の動力が電気になっていること、停車場前に客待ちのリクショウメンがいなくなって、そのかわりに自動車とバスと、それからいろいろな名前のホテルの制帽を着た、丁寧でいばっている客引きの数が多いことぐらいである。山川の・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
出典:青空文庫