・・・食堂の片隅には植木鉢も置いてあって、青々とした蘭の葉が室内の空気に息づいているように見える。どことなく支那趣味の取り入れてあるところは、お三輪に取って、焼けない前の小竹の店を想い起させるようなものばかりであった。 その日は、お三・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ ドアが音も無くあいて、眼の大きい浅黒い青年の顔が、そっと室内を覗き込んだのを、男爵は素早く見とがめ、「おい、君。君は、誰だ。」見知らぬひとに、こんな乱暴な口のききかたをする男爵ではなかったのである。 青年は悪びれずに、まじめな・・・ 太宰治 「花燭」
・・・ 紳士たちの私語が、ひそひそ室内に充満した。「まあ、いい。これからすぐ警視庁へ来てもらう。歩けないことは、あるまい。」 自動車に乗せられ、窓からちまたを眺めると、人は、寒そうに肩をすくめて、いそがしそうに歩いていた。ああ、生きて・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・困って右を押すと、突然、闇が破れて扉があいた。室内が見えるというほどではないが、そことなく星明りがして、前にガラス窓があるのがわかる。 銃を置き、背嚢をおろし、いきなりかれは横に倒れた。そして重苦しい息をついた。まアこれで安息所を得たと・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・そうした場合に、同室にいる課長殿が、これは誰かに対する信号だということに気が付いたとしても、その信号を受けているのが室内のどの男だかということが分かりにくい。そこにこの信号の長所がある訳である。それで課長殿が窓際へ行って信号の出処を見届けよ・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・半日も下宿に籠って見厭きた室内、見厭きた庭を見ていると堪えられなくなって飛び出す。黒田を誘うて当もなく歩く。咲く花に人の集まる処を廻ったり殊更に淋しい墓場などを尋ね歩いたりする。黒田はこれを「浮世の匂」をかいで歩くのだと言っていた。一緒に歩・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・由来この種の雅致は或一派の愛国主義者をして断言せしむれば、日本人独特固有の趣味とまで解釈されている位で、室内装飾の一例を以てしても、床柱には必ず皮のついたままの天然木を用いたり花を活けるに切り放した青竹の筒を以てするなどは、なるほど Roc・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・先っきから婆さんは室内の絵画器具について一々説明を与える。五十年間案内者を専門に修業したものでもあるまいが非常に熟練したものである。何年何月何日にどうしたこうしたとあたかも口から出任せに喋舌っているようである。しかもその流暢な弁舌に抑揚があ・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・座敷へ通って、室内を見渡して、何だか伽藍のようだねと云った。暇乞のためだから別段の話しも出なかったが、ただ門弟としての物集の御嬢さんと今一人北国の人の事を繰り返して頼んで行った。 一日越えて、余が答礼に行った時は、不在で逢えなかった。見・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・と、吉里は障子を開けて室内に入ッて、後をぴッしゃり手荒く閉めた。「どうしたの。また疳癪を発しておいでだね」 次の間の長火鉢で燗をしながら吉里へ声をかけたのは、小万と呼び当楼のお職女郎。娼妓じみないでどこにか品格もあり、吉里には二三歳・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
出典:青空文庫