・・・ 人の事は云われないが、連の男も、身体つきから様子、言語、肩の瘠せた処、色沢の悪いのなど、第一、屋財、家財、身上ありたけを詰込んだ、と自ら称える古革鞄の、象を胴切りにしたような格外の大さで、しかもぼやけた工合が、どう見ても神経衰弱という・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・その中百円を葬儀の経費に百円を革包に返し、残の百円及び家財家具を売り払った金を旅費として飄然と東京を離れて了った。立つ前夜密に例の手提革包を四谷の持主に送り届けた。 何時自分が東京を去ったか、何処を指して出たか、何人も知らない、母にも手・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・中には、安全と思うところへ早く家財なぞをもち出して一安神していると、間もなく、ふいに思わぬところから火の手がせまって来たりして、せっかくもち出したものもそのままほうってにげ出す間もなく、こんどは、ぎゃくにまっ向うから火の子がふりかぶさって来・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・時計に限らず、たいていの家財は、先生をきらって寄り附かない具合である。 君は、君の腕時計を見て、時刻を報告した。十一時三十分まで、もう三時間くらいしか無い。僕は、君を吉祥寺のスタンドバアに引っぱって行く事を、断念しなければいけなかった。・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・第二ページはおかあさんの留守に幼少な娘のリエナが禁を犯してペチカのふたを明け、はね出した火がそれからそれと燃え移って火事になる光景、第三ページは近所が騒ぎだし、家財を持ち出す場面、さすがにサモワールを持ち出すのを忘れていない。第四ページは消・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・まだ荒壁が塗りかけになって建て具も張ってない家に無理無体に家財を持ち込んで、座敷のまん中に築いた夜具や箪笥の胸壁の中で飯を食っている若夫婦が目についたりした。 新開地を追うて来て新たに店を構えた仕出し屋の主人が店先に頬杖を突いて行儀悪く・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・ 地震によって惹起される津波もまたしばしば、おそらく人間の一代に一つか二つぐらいずつは、大八州国のどこかの浦べを襲って少なからざる人畜家財を蕩尽したようである。 動かぬもののたとえに引かれるわれわれの足もとの大地が時として大いに震え・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・ ある時、火事で焼け出されて、神社の森の中に持ち出した家財を番している中年の婦人が、見舞いの人々と話しながら、腹の底からさもおかしそうに笑いこけているのを、相手のほうでは驚き怪しむような表情をして見つめているのを見かけた事もある。 ・・・ 寺田寅彦 「笑い」
・・・ただこの老差配の目ざしているのは亭主その人の家財にある。亭主も二十世紀の人間だからその辺に抜かりはない。代言人の所へ行ってちゃんと相談している。日没後日出前なれば彼の家具を運び出しても差配は指を啣えて見物しておらねばならぬと云う事を承知して・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・そして、婦人は、世界史的に、原始の自然な女としてののびやかさを失い、家長、その父、その兄、その良人、その息子に従属する存在となり、一種の私有される家財めいた存在となったのであった。 こうして読めば、これは実に太古の社会史の一節である。人・・・ 宮本百合子 「貞操について」
出典:青空文庫