・・・乃至一草一木の裡、あるいは鬼神力宿り、あるいは観音力宿る。必ずしも白蓮に観音立ち給い、必ずしも紫陽花に鬼神隠るというではない。我が心の照応する所境によって変幻極りない。僕が御幣を担ぎ、そを信ずるものは実にこの故である。 僕は一方鬼神力に・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・が、酔いもしなければ、心も定らないのでありました。 ただ一夜、徒らに、思出の武生の町に宿っても構わない。が、宿りつつ、そこに虎杖の里を彼方に視て、心も足も運べない時の儚さにはなお堪えられまい、と思いなやんでいますうちに―― 汽車は着・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・佐々木氏の祖父の弟、白望に茸を採りに行きて宿りし夜、谷を隔てたるあなたの大なる森林の前を横ぎりて女の走り行くを見たり。中空を走る様に思われたり。待てちゃアと二声ばかり呼ばりたるを聞けりとぞ。 修羅の巷を行くものの、魔界の姿見るが・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・ 三 一時の急を免れた避難は、人も家畜も一夜の宿りがようやくの事であった。自分は知人某氏を両国に訪うて第二の避難を謀った。侠気と同情に富める某氏は全力を尽して奔走してくれた。家族はことごとく自分の二階へ引取ってく・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・桃内を過ぐる頃、馬上にて、 きていたるものまで脱いで売りはてぬ いで試みむはだか道中 小樽に名高きキトに宿りて、夜涼に乗じ市街を散歩するに、七夕祭とやらにて人々おのおの自己が故郷の風に従い、さまざまの形なし・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・着換えるまで自分は何の気もなしにいたけれど、こうして島の宿りに客となって、女の人の着物を借りて着たのかと思うと、脱ぐ段になって一種の艶な感じが起った。何だかもう少し着ていたいようにも思われた。そして、しばらく羽織の赤い裏の裏返ったのを見守っ・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・シャロットを馳せる時何事とは知らず、岩の凹みの秋の水を浴びたる心地して、かりの宿りを求め得たる今に至るまで、頬の蒼きが特更の如くに目に立つ。 エレーンは父の後ろに小さき身を隠して、このアストラットに、如何なる風の誘いてか、かく凛々しき壮・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ ぬかづけばひよ鳥なくやどこでやら 三島の旅舎に入りて一夜の宿りを請えば草鞋のお客様とて町に向きたるむさくろしき二階の隅にぞ押しこめられける。笑うてかなたの障子を開けば大空に突っ立ちあがりし万仞の不尽、夕日に紅葉なす雲になぶられ・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・ 私が七つか八つの時分、金柑が大好きで、その頃向島に居た祖母のところへ宿りに行くときっと浅草につれて行ってもらって、金柑の糸の袋に入ったのを買ってもらった。 狭い帯を矢の字にして、赤い手袋をした小さい手に金柑の袋を下げて満足して居た・・・ 宮本百合子 「南風」
出典:青空文庫