・・・橋杭ももう痩せて――潮入りの小川の、なだらかにのんびりと薄墨色して、瀬は愚か、流れるほどは揺れもしないのに、水に映る影は弱って、倒に宿る蘆の葉とともに蹌踉する。 が、いかに朽ちたればといって、立樹の洞でないものを、橋杭に鳥は棲むまい。馬・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・乃至一草一木の裡、あるいは鬼神力宿り、あるいは観音力宿る。必ずしも白蓮に観音立ち給い、必ずしも紫陽花に鬼神隠るというではない。我が心の照応する所境によって変幻極りない。僕が御幣を担ぎ、そを信ずるものは実にこの故である。 僕は一方鬼神力に・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・ 瓢箪に宿る山雀、と言う謡がある。雀は樋の中がすきらしい。五、六羽、また、七、八羽、横にずらりと並んで、顔を出しているのが常である。 或殿が領分巡回の途中、菊の咲いた百姓家に床几を据えると、背戸畑の梅の枝に、大な瓢箪が釣してある。梅・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ 一処、大池があって、朱塗の船の、漣に、浮いた汀に、盛装した妙齢の派手な女が、番の鴛鴦の宿るように目に留った。 真白な顔が、揃ってこっちを向いたと思うと。「あら、お嬢様。」「お師匠さーん。」 一人がもう、空気草履の、媚か・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・そのくせ、鳥は木が大きくなってしげったあかつきには、かってにその枝に巣を造ったり、また夜になると宿ることなどがありました。そんなことを予覚しているような木の芽は、小鳥に自分の姿を見いだされないように、なるたけ石の蔭や、草の蔭に隠れるようにし・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・ 涙の光るところ、其の眼に同じい悲しみが宿る。恋の歌を聞くところ、其処に同じい怨みに泣く人があることを知る。こう、考えると私には、たゞ、其等の人々の境遇によって、現在の頭を占領している気分が違っているに留まるものだと思われた。 人間・・・ 小川未明 「忘れられたる感情」
少年の歓喜が詩であるならば、少年の悲哀もまた詩である。自然の心に宿る歓喜にしてもし歌うべくんば、自然の心にささやく悲哀もまた歌うべきであろう。 ともかく、僕は僕の少年の時の悲哀の一ツを語ってみようと思うのである。・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・田中という村にて日暮れたれば、ここにただ一軒の旅舎島田屋というに宿る。間の宿とまでもいい難きところなれど、幸にして高からねど楼あり涼風を領すべく、美からねど酒あり微酔を買うべきに、まして膳の上には荒川の鮎を得たれば、小酌に疲れを休めて快く眠・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・正直の首に神宿るとの譬で、七兵衞は図らず泥の中から一枚の黄金を獲ましたというお目出度いお話でございます。 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・そこまで行かなければ宿るべき家もない。 行くことにして歩き出した。 疲れ切っているから難儀だが、車よりはかえっていい。胸は依然として苦しいが、どうもいたしかたがない。 また同じ褐色の路、同じ高粱の畑、同じ夕日の光、レールには例の・・・ 田山花袋 「一兵卒」
出典:青空文庫