・・・彼が顔を洗う前足の横側には、毛脚の短い絨氈のような毛が密生していて、なるほど人間の化粧道具にもなりそうなのである。しかし私にはそれが何の役に立とう? 私はゴロッと仰向きに寝転んで、猫を顔の上へあげて来る。二本の前足を掴んで来て、柔らかいその・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・柔毛の密生している、節を持った、その部分は、まるでエンジンのある部分のような正確さで動いていた。――その時の恰好が思い出せた。腹から尻尾へかけてのブリッとした膨らみ。隅ずみまで力ではち切ったような伸び縮み。――そしてふと蝉一匹の生物が無上に・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・杉の秀が細胞のように密生している遙かな谿! なんというそれは巨大な谿だったろう。遠靄のなかには音もきこえない水も動かない滝が小さく小さく懸っていた。眩暈を感じさせるような谿底には丸太を組んだ橇道が寒ざむと白く匍っていた。日は谿向こうの尾根へ・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・それは羊歯類の密生している腐木へかたまってはえているのだ。スワはそんな苔を眺めるごとに、たった一人のともだちのことを追想した。蕈のいっぱいつまった籠の上へ青い苔をふりまいて、小屋へ持って帰るのが好きであった。 父親は炭でも蕈でもそれがい・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・落葉松の林中には蝉時雨が降り、道端には草藤、ほたるぶくろ、ぎぼし、がんぴなどが咲き乱れ、草苺やぐみに似た赤いものが実っている、沢へ下りると細流にウォータークレスのようなものが密生し、柵囲いの中には山葵が作ってある。沢の奥の行きづまりには崩れ・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・隙間なく密生しても活力を失わないという特徴があるために垣根の適当な素材として選ばれたのであろう。あれは何月頃であろうか。とにかくうすら寒い時候に可愛らしい筍をにょきにょきと簇生させる。引抜くと、きゅうっきゅうっと小気味の好い音を出す。軟らか・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・ むごたらしい人間の私は、三毛がこの防腐剤にまみれた足と子猫で家じゅうの畳をよごしあるく事に何よりも当惑したので、すぐに三毛をかかえて風呂場にはいって石鹸で洗滌を始めたが、このねばねばした油が密生した毛の中に滲透したのはなかなか容易には・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・ 芝の若芽が延びそめると同時に、この密生した葉の林の中から数限りもない小さな生き動くものの世界が産まれる。去年の夏の終わりから秋へかけて、小さなあわれな母親たちが種属保存の本能の命ずるがままに、そこらに産みつけてあった微細な卵の内部では・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・少しはなれて見ると密生したこずえの色が紫色にぼうとけむったように見える。畑の間を縫う小道のそばのところどころに黄ばんだ榛の木のこずえも美しい。 丘の上へ登ってみようと思って道を捜していると池のようなもののそばに出た。さざ波一つ立たない池・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・ それから少しきたない話ではあるが、昔田舎の家には普通に見られた三和土製円筒形の小便壺の内側の壁に尿の塩分が晶出して針状に密生しているのが見られたが、あれを見るときもやはり同様に軽い悪寒と耳の周囲の皮膚のしびれを感ずるのであった。 ・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫