・・・谷川の水、流れとともに大海に注がないで、横にそれて別に一小沢を造り、ここに淀み、ここに腐り、炎天にはその泥沸き、寒天にはその水氷り、そしてついには涸れゆくをまつがごときである。しかしかれと対座してその眼を見、その言葉をきくと、この例でもなお・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・ 前夜から洗っておいて、水加減を多くし、トロ火でやわらかくそしてふきこぼれないようにたいてみた。 小豆飯にたいてみた。 食塩をいれていく分味をつけてみた。 寒天をいれて、ねばりをつけた。 片栗をいれてねばりをつけた。・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・ それが、寒天のような、柔かい少年の心を傷つけずにいないのは、勿論だった。 僕は、憂鬱になり、腹立たしくなった。「俺れんちにも、こんな蕨や、いたどりや、野莓がなんぼでもなる山があるといゝんだがなア。」 ふと、心から、それを希・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・赤い車海老はパセリの葉の蔭に憩い、ゆで卵を半分に切った断面には、青い寒天の「壽」という文字がハイカラにくずされて画かれていた。試みに、食堂のなかを覗くと、奉仕の品品の饗応にあずかっている大学生たちの黒い密林のなかを白いエプロンかけた給仕の少・・・ 太宰治 「逆行」
・・・蒸されるような暑苦しい谷間の坂道の空気の中へ、ちょうど味噌汁の中に入れた蓴菜のように、寒天の中に入れた小豆粒のように、冷たい空気の大小の粒が交じって、それが適当な速度でわれわれの皮膚を撫でて通るときにわれわれは正真正銘の涼しさを感じるらしい・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・個人の一挙一動は寒天のような濃厚な媒質を透して伝播するのである。 反応を要求しない親切ならば受けてもそれほど恐ろしくないが、田舎の人の質樸さと正直さはそのような投げやりな事は許容しない。それでこれらの人々から受けた親切は一々明細に記録し・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・また塩魚類鰹節の乾燥とか寒天の凍結とかいう製造方面の事柄にも物理学応用の範囲は意外に広大であるように見受けられる。近頃藤原理学士が乾燥に関する面白い物理学的の理論を出された。おそらくこの方面の先駆と見てよかろうと思う。 以上は自分の狭い・・・ 寺田寅彦 「物理学の応用について」
・・・東京の浅草のまるで濁った寒天のような空気をうまく太平洋の方へさらって行って日本アルプスのいい空気だって代りに持って行ってやるんだ。もし僕がいなかったら病気も湿気もいくらふえるか知れないんだ。ところで今日はお前たちは僕にあうためにばかりここへ・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・「ひとりで浜へ行ってもいいけれど、あすこにはくらげがたくさん落ちている。寒天みたいなすきとおしてそらも見えるようなものがたくさん落ちているからそれをひろってはいけないよ。それからそれで物をすかして見てはいけないよ。おまえの眼は悪いものを・・・ 宮沢賢治 「サガレンと八月」
・・・く泣いているおみちのよごれた小倉の黒いえりや顫うせなかを見ていると二人とも何年ぶりかのただの子供になってこの一日をままごとのようにして遊んでいたのをめちゃめちゃにこわしてしまったようでからだが風と青い寒天でごちゃごちゃにされたような情ない気・・・ 宮沢賢治 「十六日」
出典:青空文庫