・・・ ……電燈を消した二階の寝室には、かすかな香水のにおいのする薄暗がりが拡がっている。ただ窓掛けを引かない窓だけが、ぼんやり明るんで見えるのは、月が出ているからに違いない。現にその光を浴びた房子は、独り窓の側に佇みながら、眼の下の松林を眺・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・ 十六 お蓮は翌日の午過ぎまでも、二階の寝室を離れなかった。が、四時頃やっと床を出ると、いつもより念入りに化粧をした。それから芝居でも見に行くように、上着も下着もことごとく一番好い着物を着始めた。「おい、お・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ ためらう事なくクララは部屋を出て、父母の寝室の前の板床に熱い接吻を残すと、戸を開けてバルコンに出た。手欄から下をすかして見ると、暗の中に二人の人影が見えた。「アーメン」という重い声が下から響いた。クララも「アーメン」といって応じながら・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・――さあさあ、お寝室ごしらえをしておきましょう。(もとに立戻りて、また薄の中より、このたびは一領の天幕を引出し、卓子を蔽うて建廻す。三羽の烏、左右よりこれを手伝う。天幕の裡お楽みだわね。(天幕を背後にして正面に立つ。三羽の烏、その両方に彳・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ と謂うに任せ、渠は少しも躊躇わで、静々と歩を廊下に運びて、やがて寝室に伴われぬ。 床にはハヤ良人ありて、新婦の来るを待ちおれり。渠は名を近藤重隆と謂う陸軍の尉官なり。式は別に謂わざるべし、媒妁の妻退き、介添の婦人皆罷出つ。 た・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・ 僕の書斎兼寝室にはいると、書棚に多く立ち並んでいる金文字、銀文字の書冊が、一つ一つにその作者や主人公の姿になって現われて来て、入れ代り、立ち代り、僕を責めたりあざけったり、讃めそやしたりする。その数のうちには、トルストイのような自髯の・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・そして一方の間が、母屋で、また一方が離座敷になっていて、それが私の書斎兼寝室であったのだ。或夜のこと、それは冬だったが、当時私の習慣で、仮令見ても見ないでも、必ず枕許に五六冊の本を置かなければ寝られないので、その晩も例の如くして、最早大分夜・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・ 玄関から這入ると、松木は、食堂や、寝室や、それから、も一つの仕事部屋をのぞきこんだ。「誰れが来ていたんです?」「少佐。」「何?」二人とも言葉を知らなかった。「マイヨールです。」「何だろう。マイヨールって。」松木と武・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ ウォルコフは、手綱をはなし、やわい板の階段を登って、扉を叩いた。 寝室の窓から、彼が来たことを見ていた三十すぎのユーブカをつけた女は戸口へ廻って内から掛金をはずした。「急ぐんだ、爺さんはいないか。」「おはいり。」 女は・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ 王女は、しまいに立派な寝室へつれて行って、「ここにある寝台のどれへなりとおやすみなさい。」と言いました。ウイリイはそれをことわって、門のそばへいって犬と一しょに寝ました。 あくる朝、ウイリイは王女のところへ行って、「どうぞ・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
出典:青空文庫