・・・ 仁右衛門は朝から酒を欲したけれども一滴もありようはなかった。寝起きから妙に思い入っているようだった彼れは、何かのきっかけに勢よく立ち上って、斧を取上げた。そして馬の前に立った。馬はなつかしげに鼻先きをつき出した。仁右衛門は無表情な顔を・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ ひとり、村をはなれて、山の小舎で寝起きをして、木をきり、炭をたいていた治助じいさんは自然をおそれる、街の人たちがなんとなくおかしかったのです。同じ人間でありながら、なぜそんなに寒い風がこわいのか。それよりも、どうして、この美しい景色が・・・ 小川未明 「手風琴」
・・・、そのためにお勝手とお便所と三畳間が滅茶々々になり、とても親子四人その半壊の家に住みつづける事が出来なくなりましたので、私と二人の子供は、私の里の青森市へ疎開する事になり、夫はひとり半壊の家の六畳間に寝起きして、相変らず雑誌社に通勤し続ける・・・ 太宰治 「おさん」
・・・彼は工場の中の一室に寝起きしているのであって、彼の休憩の時間は彼の葉書に依ってちゃんと知らされていますから、私はその彼の休み時間に、ちょっと訪問するというわけなのであります。彼が事務所にやってくるまで、私は事務所の片隅の小さい椅子に腰かけて・・・ 太宰治 「東京だより」
・・・ 寮では六畳一間に、同僚と三人で寝起きしている。同僚たちは、まちに遊びに出たらしく、留守である。この辺は所謂便乗線とかいうものなのか、電燈はつく。鶴の机の上には、コップに投げいれられた銭菊が、少し花弁が黒ずんでしなびたまま、主人の帰りを・・・ 太宰治 「犯人」
・・・あなたが私からいくら遠く離れていたって、あの本を読めば、まるであなたたちが私の隣り部屋にでも寝起きしているように、なまなましく、やりきれない気がして来るのですもの。もう読むまいと思っても、それでも何か気がかりで、新聞などに島田の新刊書の広告・・・ 太宰治 「冬の花火」
・・・その塔には、戸口も無ければ階段も無く、ただ頂上の部屋に、小さい窓が一つあるだけで、ラプンツェルは、その頂上の部屋にあけくれ寝起きする身のうえになったのでした。可哀そうなラプンツェル。一年経ち二年経ち、薄暗い部屋の中で誰にも知られず、むなしく・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ 道太はここにいてほしいような兄の気持は解ったけれど、一つ家に寝起きをしていれば、絶えず接近していなければならないし、人の出入りの多いのに、手数をかけるのも忍びないことであった。それに山でもそうだったように、看護や食べもののことについて・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・一時は自分の家に寝起きをしてまで学校へ通ったくらい関係は深いのであるが、大学へはいって以来下宿をしたぎり、四年の課程を終わるまで、とうとう家へは帰らなかった。もっとも別に疎遠になったというわけではない、日曜や土曜もしくは平日でさえ気に向いた・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・そこが夫婦の寝起きの場所で夕飯が始まったらしい。彼等も今晩は少しいつもと異った心持らしく低声で話し、間に箸の音が聞えた。 陽子はコーンビーフの罐を切りかけた、罐がかたく容易に開かない、木箱の上にのせたり畳の上に下したり、力を入れ己れの食・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
出典:青空文庫