・・・口を利くのもはきはきしていれば、寝返りをするのも楽そうだった。「お肚はまだ痛むけれど、気分は大へん好くなったよ。」――母自身もそう云っていた。その上あんなに食気までついたようでは、今まで心配していたよりも、存外恢復は容易かも知れない。――洋・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・夜が明けても、的はないのに、夜中一時二時までも、友達の許へ、苦い時の相談の手紙なんか書きながら、わきで寝返りなさるから、阿母さん、蚊が居ますかって聞くんです。 自分の手にゃ五ツ六ツたかっているのに。」 主人は火鉢にかざしながら、・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・斧と琴と菊模様の浴衣こそ菊枝をして身を殺さしめた怪しの衣、女が歌舞伎の舞台でしばしば姿を見て寐覚にも俤の忘られぬ、あこがるるばかり贔屓の俳優、尾上橘之助が、白菊の辞世を読んだ時まで、寝返りもままならぬ、病の床に肌につけた記念なのである。・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 投げ棄つるがごとくかく謂いつつ、伯爵夫人は寝返りして、横に背かんとしたりしが、病める身のままならで、歯を鳴らす音聞こえたり。 ために顔の色の動かざる者は、ただあの医学士一人あるのみ。渠は先刻にいかにしけん、ひとたびその平生を失せし・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・ 何と絵蝋燭を燃したのを、簪で、その髷の真中へすくりと立てて、烏羽玉の黒髪に、ひらひらと篝火のひらめくなりで、右にもなれば左にもなる、寝返りもするのでございます。 ――こうして可愛がって下さいますなら、私ゃ死んでも本望です―― ・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・寝たっきりで、先月の二十日時分から寝返りさえ容易じゃなくッて、片寝でねえ。耳にまで床ずれがしてますもの。夜が永いのに眠られないで悩むのですから、どんなに辛いか分りません。話といったってねえ、新さん、酷く神経が鋭くなってて、もう何ですよ、新聞・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・友人の身の上や、昔の寄宿舎生活などを思い浮べ 、友人の持っていた才能を延ばし得ないで、こんな田舎に埋れてしまう運命が気の毒になり、そのむくろには今どんな夢が宿っているだろうなどと、寝苦しいままに幾度も寝返りをするうちに、よいに聴いた戦話があ・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・となり三時となっても話は綿々として尽きないで、余り遅くなるからと臥床に横になって、蒲団の中に潜ずり込んでしまってもなおこのまま眠てしまうのが惜しそうであった。「寝よう乎」と寝返りしては復た暫らくして、「どうも寝られない」と向き直ってポツリポ・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・思わずつい、うとうととする拍子に夢とも、現ともなく、鬼気人に迫るものがあって、カンカン明るく点けておいた筈の洋燈の灯が、ジュウジュウと音を立てて暗くなって来た、私はその音に不図何心なく眼が覚めて、一寸寝返りをして横を見ると、呀と吃驚した、自・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・ そして、どれだけ時間がたった頃だろうか、娘はいきなり寝返りを打つと、声を掛けて来た。「なんぜここへ来て寝ないの……?」「えっ……?」 小沢は思わず眼をひらいて、寝台の方を見た。 暗がりで、よくは見えないが、たしかに・・・ 織田作之助 「夜光虫」
出典:青空文庫