・・・ 倭将の一人――小西行長はずっと平壌の大同館に妓生桂月香を寵愛していた。桂月香は八千の妓生のうちにも並ぶもののない麗人である。が、国を憂うる心は髪に挿したまいかいの花と共に、一日も忘れたと云うことはない。その明眸は笑っている時さえ、いつ・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・軽井沢に避暑中のアメリカ富豪エドワアド・バアクレエ氏の夫人はペルシア産の猫を寵愛している。すると最近同氏の別荘へ七尺余りの大蛇が現れ、ヴェランダにいる猫を呑もうとした。そこへ見慣れぬ黒犬が一匹、突然猫を救いに駈けつけ、二十分に亘る奮闘の後、・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・ 後前を見廻して、「それはね、城のお殿様の御寵愛の、その姉さんだったと言いましてね。むかし、魔法を使うように、よく祈りのきいた、美しい巫女がそこに居て、それが使った狢だとも言うんですがね。」 あなたは知らないのか、と声さえ憚って・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・大星だか由良之助だかで、鼻を衝く、鬱陶しい巴の紋も、ここへ来ると、木曾殿の寵愛を思い出させるから奥床しい。」 と帯を解きかけると、ちゃぶり――という――人が居て湯を使う気勢がする。この時、洗面所の水の音がハタとやんだ。 境はためらっ・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・さまで美しというにあらねど童には手ごろの生き物ゆえ長の児が寵愛なおざりならず、ただかの青年にのみはその背を借すことあり。青年は童の言うがまにまにこの驢馬にまたがれど常に苦笑いせり。青年には童がこの兎馬を愛ずるにも増して愛で慈しむたくましき犬・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・AMADEUS HOFFMANN 路易第十四世の寵愛が、メントノン公爵夫人の一身に萃まって世人の目を驚かした頃、宮中に出入をする年寄った女学士にマドレエヌ・ド・スキュデリイと云う人があった。「労働」KARL SCHOENHERR・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・其処には貸本の小説や稽古本が投出してある。寵愛の小猫が鈴を鳴しながら梯子段を上って来るので、皆が落ちていた誰かの赤いしごきを振って戯らす。 自分は唯黙って皆のなす様を見ていた。浴衣一枚の事で、いろいろの艶しい身の投げ態をした若い女たちの・・・ 永井荷風 「夏の町」
一 夫女子は成長して他人の家へ行き舅姑に仕ふるものなれば、男子よりも親の教緩にすべからず。父母寵愛して恣に育ぬれば、夫の家に行て心ず気随にて夫に疏れ、又は舅の誨へ正ければ堪がたく思ひ舅を恨誹り、中悪敷成て終には追出され恥・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・そして、巴里のムーラン・ルージュの黒人の踊子のジョセフィン・ベイカアを寵愛して、ジョセフィン・ベイカアと云えば、コティの白粉を知っているぐらいの日本の人は知らない者はない世界のレビューの舞姫にした。やがてコティも運命が来て死んだ。ジョセフィ・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
・・・と呼んで寵愛している様子です。母はその子を見た時、顔から血の色がひくのがわかるような気持がしたそうです。母はとっさにその子は父の隠した子であって、双方の親たちは諒解した上のことで、自分だけにかくされていたことだと思ったそうです。この話は私の・・・ 宮本百合子 「わが母をおもう」
出典:青空文庫