・・・その対照が私に非常に深く人生と自然とを思わせた。 ある日、O君に言った。「弥勒に一度つれて行ってくれたまえ」 で、秋のある静かな日が選ばれた。私達は三里の道、小林君が毎日通って行ったその同じ道を静かにたどった。野には明るい日が照・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・今手近に適切な実例をあげることはできないが、おそらくこれらの絵巻物の中から「対照」「譬喩」「平行」「同時」等いろいろのモンタージュ手法に類するものを拾い出すことも可能であろうと思われる。 映画における字幕サブタイトルに相当するものすら、・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・に、たまたまこういう人間らしい平凡な情味をもった童話的なものに出会うと清々しい救われたような気持がするから妙である。 五 泉 童話的な「紅雀」に対照すると「泉」は比較にならぬほど複雑で深刻な事件とその心理とを題材と・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・ この映画に取り扱われた太鼓の主題はたしかにヒロインの愛の対照のライトモチーフとしての役目を立派に果たしていると思われる。こういう点でこの映画は一つのおもしろい試みである。そうして少なくも有声映画に特有な一つの新しい可能性を指摘する点に・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ ベナレスの聖地で難行苦行を生涯の唯一の仕事としている信徒を、映画館から映画館、歌舞伎から百貨店と、享楽のみをあさり歩く現代文明国の士女と対照してみるのもおもしろいことである。人生とは何かなどという問題は、世界をすっかり見た上でなければ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・同時にまた、教科書の間に隠した『梅暦』や小三金五郎の叙景文をば目の当りに見る川筋の実景に対照させて喜んだ事も度々であった。 かかる少年時代の感化によって、自分は一生涯たとえ如何なる激しい新思想の襲来を受けても、恐らく江戸文学を離れて隅田・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・十二月も早や二十日過ぎなので、電車の馳せ行く麹町の大通りには、松竹の注目飾り、鬼灯提灯、引幕、高張、幟や旗のさまざまが、汚れた瓦屋根と、新築した家の生々しい木の板とに対照して、少しの調和もない混乱をば、なお更無残に、三時過ぎの日光が斜めに眩・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・どうでも今日は行かんすかの一句と、歌麿が『青楼年中行事』の一画面とを対照するものは、容易にわたくしの解説に左袒するであろう。 わたくしはまた更に為永春水の小説『辰巳園』に、丹次郎が久しく別れていたその情婦仇吉を深川のかくれ家にたずね、旧・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・すべての牌と名のつくものがむやみにかちかちしていつまでも平気に残っているのを、もろうた者の煙のごとき寿命と対照して考えると妙な感じがする。それから二階へ上る。ここにまた大きな本棚があって本が例のごとくいっぱい詰まっている。やはり読めそうもな・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・この両者を前に申述べた教育と対照いたしますと、ローマンチシズムと、昔の徳育即ち概念に囚れたる教育と、特徴を同うし、ナチュラリズムと現今の事実を主とする教育と、相通うのであります。以前文芸は道徳を超絶するという議論があり、またこれを論じた大家・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
出典:青空文庫