・・・余輩はただ今後の成行に眼をつけ、そのいずれかまず直接法の不便利を悟りて、前に出したる手を引き、口を引き、理屈を引き、さらに思想を一層の高きに置きて、無益の対陣を解く者ならんと、かたわらより見物して水掛論の落着を待つのみ。 この全編の大略・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ 秀麿と父との対話が、ヨオロッパから帰って、もう一年にもなるのに、とかく対陣している両軍が、双方から斥候を出して、その斥候が敵の影を認める度に、遠方から射撃して還るように、はかばかしい衝突もせぬ代りに、平和に打ち明けることもなくているの・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・家康は古府まで出張って、八千足らずの勢をもって北条の五万の兵と対陣した。この時佐橋甚五郎は若武者仲間の水野藤十郎勝成といっしょに若御子で働いて手を負った。年の暮れに軍功のあった侍に加増があって、甚五郎もその数に漏れなんだが、藤十郎と甚五郎と・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
出典:青空文庫