・・・どうかわたしの寿命を延ばして下さい。たった五年、たった十年、――子供さえ成人すれば好いのです。それでもいけないと云うのですか? 使 さあ、年限はかまわないのですが、――しかしあなたをつれて行かなければ代りが一人入るのです。あなたと同じ年・・・ 芥川竜之介 「二人小町」
・・・と、かッと卓子に拳を掴んで、「城下の家の、寿命が来たんでござりましょう、争われぬ、争われぬ。」 と半分目を眠って、盲目がするように、白眼で首を据えて、天井を恐ろしげに視めながら、「ものはあるげにござりまして……旧藩頃の先主人が、・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・――自分で死ぬほど、要らぬ生命を持っているなら、おなじ苦労をした女の、寿命のさきへ、鼻毛をよって、継足をしてやるが可い。このうつくしい、優しい女を殺そうとは何事だ。これ聞け。俺も、こんな口を利いたって、ちっとも偉い男ではない。お互に人間の中・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・真に情ない訣だ。寿命で死ぬは致方ないにしても、長く煩って居る間に、あア見舞ってやりたかった、一目逢いたかった。僕も民さんに逢いたかったもの、民さんだって僕に逢いたかったに違いない。無理無理に強いられたとは云え、嫁に往っては僕に合わせる顔がな・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・お前に浮かぬ顔して引っ込んでいられると、おらな寿命が縮まるようだったわ」 中しきりの鏡戸に、ずんずん足音響かせてはや仕事着の兄がやってきた。「ウン起きたか省作、えい加減にして土竜の芸当はやめろい。今日はな、種井を浚うから手伝え。くよ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・尤もその頃は今の展覧会向きのような大画幅を滅多に描くものはなかったが、殊に椿岳は画を風流とする心に累せられて、寿命を縮めるような製作を嫌っていた。十日一水を画き五日一石を画くというような煩瑣な労作は椿岳は屑しとしなかったらしい。が、椿岳の画・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・天才じゃありません。努力です。訓練です。私はもう少しでこの子を殺してしまうところでした。それほど乱暴な稽古をやったのです。ところが、この子は運よく死ななかっただけです。天才じゃありません。寿命があったんですよ。それだけです」 食って掛る・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・供の時きき候と同じ昔噺を貞坊が聞き候ことも遠かるまじと思われ候、これを思えば悲しいともうれしいとも申しようなき感これありこれ必ず悲喜両方と存じ候、父上は何を申すも七十歳いかに強壮にましますとも百年のご寿命は望み難く、去年までは父上父上と申し・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・「ハハハ、そうよ、異に後生気になったもんだ。寿命が尽きる前にゃあ気が弱くなるというが、我アひょっとすると死際が近くなったかしらん。これで死んだ日にゃあいい意気地無しだ。「縁起の悪いことお云いでないよ、面白くもない。そんなことを云って・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・いな、百歳・九十歳・八十歳の寿命すらも、まずはむつかしいとあきらめているのが多かろうと思う。はたしてそうならば、彼らは単純に死を恐怖して、どこまでもこれをさけようともだえる者ではない。彼らは、明白に意識せるといなとは別として、彼らの恐怖の原・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
出典:青空文庫