・・・ 亜米利加人は惜しげもなく、三百弗の小切手を一枚、婆さんの前へ投げてやりました。「差当りこれだけ取って置くさ。もしお婆さんの占いが当れば、その時は別に御礼をするから、――」 婆さんは三百弗の小切手を見ると、急に愛想がよくなりまし・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ 細君が生きていた頃は、送って来る為替や小切手など、細君がちゃんと払出を受けていたのだが、細君が死んで、六十八歳の文盲の家政婦と二人で暮すようになると、もう為替や小切手などいつまでも放ったらかしである。 近所に郵便局があるので、取り・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・少し愚図過ぎた。小切手を渡した係りの前へ二度ばかりも示威運動をしに行った。とうとうしまいに自分は係りに口を利いた。小切手は中途の係りがぼんやりしていたのだった。 出て正門前の方へゆく。多分行き倒れか転んで気絶をしたかした若い女の人を二人・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・やがて、一枚の小切手が約束の三十日より二日も早く私の手もとへ届いた。私はそれを適当に始末してしまうまでは安心しなかった。「次郎ちゃん、きょうはお前と末ちゃんを下町のほうへ連れて行く。自動車を一台頼んで来ておくれ。」「とうさん、ど・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・かれら夫婦ひと月ぶんの生活費、その前夜に田舎の長兄が送ってよこした九十円の小切手を、けさ早く持ち出し、白昼、ほろ酔いに酔って銀座を歩いていた。老い疲れたる帝国大学生、袖口ぼろぼろ、蚊の脛ほどに細長きズボン、鼠いろのスプリングを羽織って、不思・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・ なお、お医者へは、小切手、明日、お金にかえて支払いますと言って下さい。明日、なんとかして、ほんとにお金こしらえるつもり。慚愧、うちに居ること不能ゆえ、海へ散歩にいって来ます。承知とならば、玄関の電燈ともして置いて下さい。」 家・・・ 太宰治 「創生記」
・・・延子とその従妹との対照、お延が伯父から小切手を貰うところの情景などで、漱石は生彩をもってそのことを描いているのである。 結婚すれば女が人間としてわるくなる、という漱石の悲痛な洞察は、だが、漱石の生涯ではついにその本来の理由を見出されなか・・・ 宮本百合子 「歴史の落穂」
出典:青空文庫