・・・この道場というは四間と五間の板間で、その以前豊吉も小学校から帰り路、この家の少年を餓鬼大将として荒れ回ったところである。さらに維新前はお面お籠手の真の道場であった。 人々は非常に奔走して、二十人の生徒に用いられるだけの机と腰掛けとを集め・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・その人生における職分が政治、科学、実業、芸術のいずれの方面に向かおうとも、彼の伝記が書かれるときには、あのワシントンのそれのように、小学校の教科書には「彼は偉大にして、善き人間なりき」と書かれるようにありたいものである。自分如きも、青春期、・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・どこだったか、一寸思い出せなかった。小学校へ通っている時、先生から、罰を喰った。その時、悪いことをするつもりがなくして、やったことが、先生から見ると悪いことだったような気もした。いや、たしかにそうだった。子供が自分の衝動の赴くまゝに、やりた・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・此復読をすることは小学校へ往くようになってからも相替らず八釜敷いうて遣らされました。併しそれも唯机に対って声さえ立てて居れば宜いので、毎日のことゆえ文句も口癖に覚えて悉皆暗誦して仕舞って居るものですから、本は初めの方を二枚か三枚開いたのみで・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・山崎のお母さんに比らべると、お前の母は小学校にも行ったことがないし、小さい時から野良に出て働かせられたし、土方部屋のトロッコに乗って働いたこともある純粋の貧農だったが、貧乏人であればあるほど、一方では自分の息子だけは立派に育てゝ楽をしたいと・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・彼は初めて入学した村の小学校で狐がついたという生徒の一人を見たことを思出した…… 学士が窓のところへ来た。「広岡先生の御国はどちらなんですか」と高瀬が聞いた。「越後」 と学士は答えた。 昼過に高瀬が塾を出ようとすると、急・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ 小学校は全市で百九十六校あったのが百十八校まで焼け、り災した児童の数が十四万八千四百人に上っています。そのうちの四割は地方や郡部にうつったものと見て、あと八万九千の人たちは、十一月にもとのところにかり校舎がたつまでは、どうすることも出・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・ へんな事をおたずねするようですが、あなたと私とは小学校の同級生ですから、同じとしの三十七、いやもう二、三週間すると昭和二十一年になって、三十八。ところでどうです、このとしになっても、やはり、色気はあるでしょう、いや、冗談でなく、私はい・・・ 太宰治 「嘘」
・・・ことに、幸いであったのは、その小林秀三氏の日記が、中学生時代のものと、小学校教師時代と、死ぬ年一年と、こうまとまってO君の手もとにあったことであった。私はさっそくそれを借りてきて読んだ。 この日記がなくとも、『田舎教師』はできたであろう・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・どこかの小学校の先生であったと思う。自分で魚市場から買って来た魚をそのまま鱗も落さずわたも抜かずに鉄網で焼いてがむしゃらに貪り食っていた。その豪傑振りをニヤニヤ笑っていたのは当時張良をもって自ら任じていたKであった。自分の眼にもこの人の無頓・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
出典:青空文庫