・・・彼は好奇心の余り、小樽港に碇泊している船について調べて見たが、一隻の軍艦もいないことを発見した。而してその不思議な光は北極光の余翳であるのを略々確めることが出来た。北海道という処はそうした処だ。 私が学生々活をしていた頃には、米国風な広・・・ 有島武郎 「北海道に就いての印象」
・・・札幌を去って小樽に来た。小樽に来て初めて真に新開地的な、真に植民的精神の溢るる男らしい活動を見た。男らしい活動が風を起す、その風がすなわち自由の空気である。 内地の大都会の人は、落し物でも探すように眼をキョロつかせて、せせこましく歩く。・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・郷里から函館へ、函館から札幌へ、札幌から小樽へ、小樽から釧路へ――私はそういう風に食を需めて流れ歩いた。いつしか詩と私とは他人同志のようになっていた。たまたま以前私の書いた詩を読んだという人に逢って昔の話をされると、かつていっしょに放蕩をし・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・桃内を過ぐる頃、馬上にて、 きていたるものまで脱いで売りはてぬ いで試みむはだか道中 小樽に名高きキトに宿りて、夜涼に乗じ市街を散歩するに、七夕祭とやらにて人々おのおの自己が故郷の風に従い、さまざまの形なし・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・冬になると、北海道の奥地にいる労働者は島流しにされた俊寛のように、せめて内地の陸の見えるところへまでゞも行きたいと、海のある小樽、函館へ出てくるのだ。もう一度チヤツプリンを引き合いに出すが、「黄金狂」で、チヤツプリンは片方の靴を燃やしてしま・・・ 小林多喜二 「北海道の「俊寛」」
・・・どうして知ってなさる。小樽だ。」「それはわかるよ。もう長くいるのか。」「ここはこの春から。」「じゃ、その前はどこにいた。」「亀戸にいたんだけど、母さんが病気で、お金が入るからね。こっちへ変った。」「どの位借りてるんだ。」・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・津軽海峡、トラピスト、函館、五稜郭、えぞ富士、白樺、小樽、札幌の大学、麦酒会社、博物館、デンマーク人の農場、苫小牧、白老のアイヌ部落、室蘭、ああ僕は数えただけで胸が踊る。五時間目には菊池先生がうちへ宛てた手紙を渡して、またいろいろ話され・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・そして、北海道の小樽新聞へつづきものの小説を書かないかとすすめられた。 新聞の小説というものには、一定の通念がある。一回ごとにヤマがなければいけないとか、文章の上に一種のひっぱる力が要求されるとか。わたしにはとてもそういう条件がみたせな・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・ 伊藤氏が健全な人間的作家としての野望を抱く現代青年の心的事実の代弁者であるならば、小樽の街上を袂を翼に舞ったり下ったりする戯画化された小林の粗末な描写で、歴史的重要さが求めているだけの批判をなしているとみずから承認されはしないであろう・・・ 宮本百合子 「数言の補足」
同志小林多喜二は、日本のプロレタリア文学運動において、実に類のすくない一人の傑出した世界的作家であった。 小説は、小樽で銀行に勤めていた時分から書きはじめていたが、その時分から同志小林の作品は、はっきり勤労階級の生活の・・・ 宮本百合子 「同志小林多喜二の業績」
出典:青空文庫