・・・私は、家へ来たある謹厳な客が、膝へあがって来た仔猫の耳を、話をしながら、しきりに抓っていた光景を忘れることができない。 このような疑惑は思いの外に執念深いものである。「切符切り」でパチンとやるというような、児戯に類した空想も、思い切って・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・宅へもらわれて来たころはまだほんとうの子猫であったが、わずかな月日の間にもう立派な親猫になってしまった。いつまでも子猫であってほしいという子供らの願望を追い越して容赦もなく生長して行った。 三毛は神経が鋭敏であるだけにどこか気むずかしく・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・ 宿の主人が一匹の子猫の頸をつまんでぶら下げながら橋の向う側の袂へ行ってぽいとそれをほうり出した。猫はあたかも何事も起らなかったかのようにうそうそと橋の欄干を嗅いでいた。 女中に聞いてみると、この橋の袂へ猫を捨てに来る人が毎日のよう・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・ そのうちに子猫はだんだんに生長して時々庭の芝生の上に姿を見せるようになった。青く芽を吹いた芝生の上のつつじの影などに足を延ばして横になっている親猫に二匹の子猫がじゃれているのを見かける事もあったが、廊下を伝って近づく人の足音を聞くと親・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・ このごろ、のら猫の連れていた子猫のうちの一匹がどうしたわけか家の中へはいり込んで来て、いくら追い出しても追い出してもまたはいって来て、人を恋しがって離れようとしない。まっ黒な烏猫であるが、頭から首にかけて皮膚病のようなものが一面に広が・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・ 満七年の間に三十匹ほどの子猫の母となった。最後の産のあとで目立って毛が脱けた。次第に食欲がなくなり元気がなくなった。医師に見てもらうとこれは胸に水を持ったので治療の方法がないとの事であった。この宣告は自分たちの心を暗くした。そのころは・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・ さっきこの庭へ三人の子供が来て一匹の子猫を追いまわしてつかまえて往ったが、彼らはまだその猫を持て遊んで居ると見えて垣の外に騒ぐ声が聞える。竹か何かで猫を打つのであるか猫はニャーニャーと細い悲しい声で鳴く。すると高ちャんという子の声で「・・・ 正岡子規 「飯待つ間」
・・・ クねずみはだんだん四方の足から食われて行って、とうとうおしまいに四ひきの子猫は、クねずみの胃の腑のところで頭をコツンとぶっつけました。 そこへ猫大将が帰って来て、「何か習ったか。」とききました。「ねずみをとることです。」と・・・ 宮沢賢治 「クねずみ」
・・・ 今日は殊更しおれて何処か毛の濡れた仔猫のように見える彼女は、良人かられんに暇をやった一条を聞くと、情けない声で「困るわ、私」と云い出した。「どうして一言相談して下さらなかったの?」 彼は尤もな攻撃に当惑し、頻りに掌で髪・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・幸福というものが、案外にも活気横溢したもので、たとえて見れば船の舳が濤をしのいで前進してゆく、そのときの困難ではあるが快さに似たものだといったら昼寝の仔猫のような姿を幸福に与えようとしている人たちは非常にびっくりするだろうか。 人生に何・・・ 宮本百合子 「幸福の感覚」
出典:青空文庫