・・・ 生憎、その内に、僕は小用に行きたくなった。 ――厠から帰って見ると、もう電燈がついている。そうして、いつの間にか「手摺り」の後には、黒い紗の覆面をした人が一人、人形を持って立っている。 いよいよ、狂言が始まったのであろう。僕は・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・ 私は、仲入りに廊下へ出ると、すぐに妻を一人残して、小用を足しに参りました。申上げるまでもなく、その時分には、もう廻りの狭い廊下が、人で一ぱいになって居ります。私はその人の間を縫いながら、便所から帰って参りましたが、あの弧状になっている・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・ そこで一緒に小用を足して、廊下づたいに母屋の方へまわって来ると、どこかで、ひそひそ話し声がする。長い廊下の一方は硝子障子で、庭の刀柏や高野槙につもった雪がうす青く暮れた間から、暗い大川の流れをへだてて、対岸のともしびが黄いろく点々と数・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・どうしてもお前達を子守に任せておけないで、毎晩お前たち三人を自分の枕許や、左右に臥らして、夜通し一人を寝かしつけたり、一人に牛乳を温めてあてがったり、一人に小用をさせたりして、碌々熟睡する暇もなく愛の限りを尽したお前たちの母上が、四十一度と・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ と心得たもので、「照焼にして下さい。それから酒は罎詰のがあったらもらいたい、なりたけいいのを。」 束髪に結った、丸ぽちゃなのが、「はいはい。」 と柔順だっけ。 小用をたして帰ると、もの陰から、目を円くして、一大事そ・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・ ふと小用場を借りたくなった。 中戸を開けて、土間をずッと奥へ、という娘さんの指図に任せて、古くて大きいその中戸を開けると、妙な建方、すぐに壁で、壁の窓からむこう土間の台所が見えながら、穴を抜けたように鉤の手に一つ曲って、暗い処をふ・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・ 亭主はさぞ勝手で天窓から夜具をすっぽりであろうと、心に可笑しく思いまする、小宮山は山気膚に染み渡り、小用が達したくなりました。 折角可い心地で寐ているものを起しては気の毒だ。勇士は轡の音に目を覚ますとか、美人が衾の音に起きませぬよ・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・伊助の神経ではそんな世話は思いも寄らず、椙も尿の世話ときいては逃げるし、奉公人もいやな顔を見せたので、自然気にいらぬ登勢に抱かれねばお定は小用も催せなかった。 登勢はいやな顔一つ見せなかったから、痒いところへ届かせるその手の左利きをお定・・・ 織田作之助 「螢」
・・・入口の風鈴の音わすれ難く、小用はたしながら、窓外の縁日、カアバイド燈のまわりの浴衣着たる人の群ながめて、ああ、みんな生きている、と思って涙が出て、けれども、「泣かされました」など、つまらぬことだ、市民は、その生活の最頂点の感激を表現するのに・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・男と女が、コオヒイと称する豆の煮出汁に砂糖をぶち込んだものやら、オレンジなんとかいう黄色い水に蜜柑の皮の切端を浮べた薄汚いものを、やたらにがぶがぶ飲んで、かわり番こに、お小用に立つなんて、そんな恋愛の場面はすべて浅墓というべきです。先日、私・・・ 太宰治 「花吹雪」
出典:青空文庫