・・・僕はちょっとそのビスケットのだけ嗅いで見たい誘惑を感じた。「おい、僕にもそれを見せてくれ。」「うん、こっちにまだ半分ある。」 譚は殆ど左利きのように残りの一片を投げてよこした。僕は小皿や箸の間からその一片を拾い上げた。けれども折・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・と云うのは二人の間に浮かない世間話が始まってから、ふと泰さんが気がつくと、燻し鮭の小皿と一しょに、新蔵の膳に載って居るコップがもう泡の消えた黒麦酒をなみなみと湛えたまま、口もつけずに置いてあります。そこで泰さんが水の垂れる麦酒罎の尻をとって・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ 宵から、銀座裏の、腰掛ではあるが、生灘をはかる、料理が安くて、庖丁の利く、小皿盛の店で、十二三人、気の置けない会合があって、狭い卓子を囲んだから、端から端へ杯が歌留多のようにはずむにつけ、店の亭主が向顱巻で気競うから菊正宗の酔が一層烈・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・と立ったり、居たり、歩行いたり、果は胡坐かいて能代の膳の低いのを、毛脛へ引挟むがごとくにして、紫蘇の実に糖蝦の塩辛、畳み鰯を小皿にならべて菜ッ葉の漬物堆く、白々と立つ粥の湯気の中に、真赤な顔をして、熱いのを、大きな五郎八茶碗でさらさらと掻食・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・「ぬたをの……今、私が擂鉢に拵えて置いた、あれを、鉢に入れて、小皿を二つ、可いか、手綺麗に装わないと食えぬ奴さね。……もう不断、本場で旨いものを食りつけてるから、田舎料理なんぞお口には合わん、何にも入らない、ああ、入らないとも。」 ・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・餌食がその柔かな白々とした手足を解いて、木の根の塗膳、錦手の木の葉の小皿盛となるまでは、精々、咲いた花の首尾を守護して、夢中に躍跳ねるまで、楽ませておかねばならん。網で捕ったと、釣ったとでは、鯛の味が違うと言わぬか。あれ等を苦ませてはならぬ・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・……小皿の平四郎。 いずれも、花骨牌で徹夜の今、明神坂の常盤湯へ行ったのである。 行違いに、ぼんやりと、宗吉が妾宅へ入ると、食う物どころか、いきなり跡始末の掃除をさせられた。「済まないことね、学生さんに働かしちゃあ。」 とお・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・――誰に習っていつ覚えた遣繰だか、小皿の小鳥に紙を蔽うて、煽って散らないように杉箸をおもしに置いたのを取出して、自棄に茶碗で呷った処へ――あの、跫音は――お澄が来た。「何もございませんけれど、」と、いや、それどころか、瓜の奈良漬。「山家です・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ 簿記函と書た長方形の箱が鼠入らずの代をしている、其上に二合入の醤油徳利と石油の鑵とが置てあって、箱の前には小さな塗膳があって其上に茶椀小皿などが三ツ四ツ伏せて有る其横に煤ぼった凉炉が有って凸凹した湯鑵がかけてある。凉炉と膳との蔭に土鍋・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・ば、あるじの老媼いなかうどの心緩やかに、まことにあしき病なんど行わるる折なれば、くず湯召したまわんとはよろしき御心づきなり、湯の沸えたぎらばまいらせんほどに、しばし待ちたまえといいて、傍の棚をさぐりて小皿をとりいだし懐にして立出でしが、やが・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
出典:青空文庫