・・・二人の間の茶ぶ台には、大抵からすみや海鼠腸が、小綺麗な皿小鉢を並べていた。 そう云う時には過去の生活が、とかくお蓮の頭の中に、はっきり浮んで来勝ちだった。彼女はあの賑やかな家や朋輩たちの顔を思い出すと、遠い他国へ流れて来た彼女自身の便り・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・が、どの鳩も今日のように小綺麗に見えはしなかったらしい。「門前の土鳩を友や樒売り」――こう云う天保の俳人の作は必ずしも回向院の樒売りをうたったものとは限らないであろう。それとも保吉はこの句さえ見れば、いつも濡れ仏の石壇のまわりにごみごみ群が・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・そこもまたふだんよりも小綺麗だった。唯目金をかけた小娘が一人何か店員と話していたのは僕には気がかりにならないこともなかった。けれども僕は往来に落ちた紙屑の薔薇の花を思い出し、「アナトオル・フランスの対話集」や「メリメエの書簡集」を買うことに・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・が、まさか日本橋からここまで蝶が跡をつけて、来ようなどとは考えませんから、この時もやはり気にとめずに、約束の刻限にはまだ余裕もあろうと云うので、あれから一つ目の方へ曲る途中、看板に藪とある、小綺麗な蕎麦屋を一軒見つけて、仕度旁々はいったそう・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・といっても子供の足で二足か三足、大阪で一番短いというその橋を渡って、すぐ掛りの小綺麗なしもたやが今日から暮す家だと、おきみ婆さんに教えられた時は胸がおどったが、しかし、そこにはすでに浜子という継母がいた。あとできけば、浜子はもと南地の芸者だ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・まだ新しい桑の長火鉢と、それと揃いらしい桑の小綺麗な茶箪笥とが壁際にならべて置かれていた。長火鉢には鉄瓶がかけられ、火がおこっていた。僕は、まずその長火鉢の傍に腰をおちつけて、煙草を吸ったのである。引越したばかりの新居は、ひとを感傷的にする・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・東京の道玄坂を小綺麗に整頓したような街である。路の両側をぞろぞろ流れて通る人たちも、のんきそうで、そうして、どこかハイカラである。植木の露店には、もう躑躅が出ている。 デパアトに沿って右に曲折すると、柳町である。ここは、ひっそりしている・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・ 手紙には、アパートのところ番地も認められていた。僕は出掛けた。 小綺麗なアパートであったが、静子さんの部屋は、ひどかった。六畳間で、そうして部屋には何もなかった。火鉢と机、それだけだった。畳は赤ちゃけて、しめっぽく、部屋は日当りも・・・ 太宰治 「水仙」
・・・私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかったが、今はもう、気持が畏縮してしまって、そんな空想など雲散霧消した。私には、そんな資格が無い。立派な口髭を生やしな・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・山を背にして海に臨んだ小綺麗な旅館であった。 小川君の書斎は、裏二階にあった。明窓浄几、筆硯紙墨、皆極精良、とでもいうような感じで、あまりに整頓されすぎていて、かえって小川君がこの部屋では何も勉強していないのではないかと思われたくらいで・・・ 太宰治 「母」
出典:青空文庫