・・・ 杉、柾木、槙などを植えつらねた生垣つづきの小道を、夏の朝早く鰯を売りあるく男の頓狂な声。さてはまた長雨の晴れた昼すぎにきく竿竹売や、蝙蝠傘つくろい直しの声。それらはいずれもわたくしが学生のころ東京の山の手の町で聞き馴れ、そしていつか年・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・片側は人の歩むだけの小径を残して、農家の生垣が柾木や槙、また木槿や南天燭の茂りをつらねている。夏冬ともに人の声よりも小鳥の囀る声が耳立つかと思われる。 生垣の間に荷車の通れる道がある。 道の片側は土地が高くなっていて、石段をひかえた・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・道は軌道に沿いながら、林の中の不規則な小径を通った。所々に秋草の花が咲き、赫土の肌が光り、伐られた樹木が横たわっていた。私は空に浮んだ雲を見ながら、この地方の山中に伝説している、古い口碑のことを考えていた。概して文化の程度が低く、原始民族の・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ 先ず最初に胸に浮んだ趣向は、月明の夜に森に沿うた小道の、一方は野が開いて居るという処を歩行いて居る処であった。写実写実と思うて居るのでこんな平凡な場所を描き出したのであろう。けれども景色が余り広いと写実に遠ざかるから今少し狭く細かく写・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・ゝきなりけり秋の山 伊豆相模境もわかず花すゝき 二十余年前までは金紋さき箱の行列整々として鳥毛片鎌など威勢よく振り立て振り立て行きかいし街道の繁昌もあわれものの本にのみ残りて草刈るわらべの小道一筋を除きて外は草の生い出でぬ処もな・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・は、駒沢の奥のひっそりした分譲地の借家に暮していたころ、その分譲地のいくつかの小道をへだてたところにある一つの瀟洒たる家におこったことであった。「小村淡彩」「一太と母」「帆」「街」はどれも一九二五年から二六年ごろにかかれた。日本の文学に・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第三巻)」
・・・から、さまざまな小道に迷いこみながら「伸子」に到達し、それから比較的滑らかにいくつかの短篇をかき、やがてそういう滑らかさの反復に作家として深い疑いを抱きだした、その最後の作品であるから。この作品を書いて程なく、ソヴェトを中心とするヨーロッパ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第四巻)」
・・・ 万斛の玉を転ばすような音をさせて流れている谷川に沿うて登る小道を、温泉宿の方から数人の人が登って来るらしい。 賑やかに話しながら近づいて来る。 小鳥が群がって囀るような声である。 皆子供に違ない。女の子に違ない。「早く・・・ 森鴎外 「杯」
・・・は人力車が通うが、左側に近頃刈り込んだ事のなさそうな生垣を見て右側に広い邸跡を大きい松が一本我物顔に占めている赤土の地盤を見ながら、ここからが坂だと思う辺まで来ると、突然勾配の強い、狭い、曲りくねった小道になる。人力車に乗って降りられないの・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・ 昨夜私は急用のために茂った松林の間の小径を半ば馳けながら通った。冷たい夜気が烈しく咽を刺激する。一つの坂をおりきった所で、私は息を切らして歩度を緩めた。前にはまたのぼるべきだらだら坂がある。――この時、突然私を捕えて私の心を急用から引・・・ 和辻哲郎 「創作の心理について」
出典:青空文庫