おのあずさ【小野梓】
[1852〜1886]政治家。高知の生まれ。号、東洋。自由主義を唱え、大隈重信を助けて立憲改進党の指導者として活躍。東京専門学校(のちの早稲田大学)の創立に参画。著「国憲汎論」など。
おのがどう【小野鵞堂】
[1862〜1922]書家。静岡の生まれ。本名、鐗之助 (かんのすけ) 。和様の研究や書道の普及に努めた。特に、書の実用性と芸術性の融合を主張して、鵞堂流と称する独自の平明優美な書風を完成。
おのこざん【小野湖山】
[1814〜1910]江戸後期から明治時代の儒者・漢詩人。近江 (おうみ) の人。本姓、横山。名は巻。三河吉田藩の儒官。維新後、明治政府に出仕、のち辞して詩作に専念。詩集「湖山楼詩鈔」など。
おのただあき【小野忠明】
[1565〜1628]江戸初期の剣客。安房 (あわ) の人。通称、次郎右衛門。前名、神子上典膳 (みこがみてんぜん) 。小野派一刀流の祖。伊藤一刀斎に剣術を学び、秘伝を伝授され、徳川秀忠に仕えた。
おのちくきょう【小野竹喬】
[1889〜1979]日本画家。岡山の生まれ。本名、英吉。竹内栖鳳に師事。土田麦僊 (つちだばくせん) らと国画創作協会を結成。初期には洋画的手法を大胆に駆使したが、しだいに穏やかな自然観照的作品に移った。文化勲章受章。
おのとおざぶろう【小野十三郎】
[1903〜1996]詩人。大阪の生まれ。帝塚山学院短大教授。本名、藤三郎。詩誌「赤と黒」同人。反俗・反権力のアナーキズム詩人として出発、短歌的叙情の否定を提唱。戦後は勤労者のための大阪文学学校校長を務める。「拒絶の木」で読売文学賞。詩集に「大阪」「重油富士」など。
おののいもこ【小野妹子】
日本最初の遣隋大使。推古天皇15年(607)隋に渡り、翌年、隋使裴世清 (はいせいせい) とともに帰国。同年、再び渡海。生没年未詳。→遣隋使
おののおつう【小野お通】
安土桃山時代の女性。織田信長や豊臣秀吉・秀次らに仕えたという。音曲・書画にすぐれ、浄瑠璃「十二段草子」の作者と伝えられるが、現在では否定されている。生没年未詳。
おののおゆ【小野老】
[689ころ〜737ころ]奈良時代の万葉歌人。大宰大弐 (だざいのだいに) 。
おののこうたいこう【小野皇太后】
[1021〜1102]後冷泉 (ごれいぜい) 天皇の皇后。藤原教通 (ふじわらののりみち) の娘。歓子 (かんし) 。関白頼通 (よりみち) の娘が宮中に入ると、怒って小野の山房に移り、出家した。