・・・が、もうその時は小鼻の上に涙のたまるのを感じていた。「莫迦だね。」 母はかすかに呟いたまま、疲れたようにまた眼をつぶった。 顔を赤くした洋一は、看護婦の見る眼を恥じながら、すごすご茶の間へ帰って来た。帰って来ると浅川の叔母が、肩・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・殊に色白なその頬は寝入ってから健康そうに上気して、その間に形よく盛り上った小鼻は穏やかな呼吸と共に微細に震えていた。「クララの光の髪、アグネスの光の眼」といわれた、無類な潤みを持った童女にしてはどこか哀れな、大きなその眼は見る事が出来なかっ・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・箱のような仕切戸から、眉の迫った、頬の膨れた、への字の口して、小鼻の筋から頤へかけて、べたりと薄髯の生えた、四角な顔を出したのは古本屋の亭主で。……この顔と、その時の口惜さを、織次は如何にしても忘れられぬ。 絵はもう人に売った、と言った・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ とまた云う、男は口を利くのも呼吸だわしそうに肩を揺る、……「就きましては、真に申兼ねましたが、その蝋燭でございます。」「蝋燭は分ったであす。」 小鼻に皺を寄せて、黒子に網の目の筋を刻み、「御都合じゃからお蝋は上げぬよう・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・が、そう云う源助の鼻も赤し、これはいかな事、雑所先生の小鼻のあたりも紅が染む。「実際、厳いな。」 と卓子の上へ、煙管を持ったまま長く露出した火鉢へ翳した、鼠色の襯衣の腕を、先生ぶるぶると震わすと、歯をくいしばって、引立てるようにぐい・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・…… 頤骨が尖り、頬がこけ、無性髯がざらざらと疎く黄味を帯び、その蒼黒い面色の、鈎鼻が尖って、ツンと隆く、小鼻ばかり光沢があって蝋色に白い。眦が釣り、目が鋭く、血の筋が走って、そのヘルメット帽の深い下には、すべての形容について、角が生え・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・他人が、ちょっと眉を顰める工合を、その細君は小鼻から口元に皺を寄せる癖がある。……それまでが、そのままで、電車を待草臥れて、雨に侘しげな様子が、小鼻に寄せた皺に明白であった。 勿論、別人とは納得しながら、うっかり口に出そうな挨拶を、唇で・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・唯台所で音のする、煎豆の香に小鼻を怒らせ、牡丹の有平糖を狙う事、毒のある胡蝶に似たりで、立姿の官女が捧げた長柄を抜いては叱られる、お囃子の侍烏帽子をコツンと突いて、また叱られる。 ここに、小さな唐草蒔絵の車があった。おなじ蒔絵の台を離し・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・扁平く、薄く、しかも大ぶりな耳へ垂らして、環珠数を掛けた、鼻の長い、頤のこけた、小鼻と目が窪んで、飛出した形の八の字眉。大きな口の下唇を反らして、かッくりと抜衣紋。長々と力なげに手を伸ばして、かじかんだ膝を抱えていたのが、フト思出した途端に・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ 呉清輝は、小鼻でくッくッと笑って、自分の所有物を纏めた。河のかなたへずらかってしまうのだ。「俺ゃ、まだ起られねえ」 晩が来ると、夜がふけるのを待たずに呉は出発した。 田川は、ベットに横たわっていた。「気をつけろよ」・・・ 黒島伝治 「国境」
出典:青空文庫