・・・自然主義者にして今少し手強く、また今少し根気よく猛進したなら、自ら覆るの未来を早めつつある事に気がつくだろう。人生の全局面を蔽う大輪廓を描いて、未来をその中に追い込もうとするよりも、茫漠たる輪廓中の一小片を堅固に把持して、其処に自然主義の恒・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・夕方招かれた時刻の少し前に、家を出て、坂を上り、ユンケル氏の宅へ行ったのである。然るにどうしたことか、ユンケル氏の宅から少し隔った、今は名を忘れたが、何でもエスで始まった名の女の宣教師の宅へ入ってしまった。その女宣教師も知った人であり、一、・・・ 西田幾多郎 「アブセンス・オブ・マインド」
・・・そのため道のおぼえが悪く、少し慣れない土地へ行くと、すぐ迷児になってしまった。その上私には、道を歩きながら瞑想に耽る癖があった。途中で知人に挨拶されても、少しも知らずにいる私は、時々自分の家のすぐ近所で迷児になり、人に道をきいて笑われたりす・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ 私は今話すのが苦しいんだけれど、もしあんたが外の事をしないのなら、少し位話して上げてもいいわ」 私は真赤になった。畜生! 奴は根こそぎ俺を見抜いてしまやがった。再び私の体中を熱い戦慄が駈け抜けた。 彼女に話させて私は一体どんなこと・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・睨まれると凄いような、にッこりされると戦いつきたいような、清しい可愛らしい重縁眼が少し催涙で、一の字眉を癪だというあんばいに釣り上げている。纈り腮をわざと突き出したほど上を仰き、左の牙歯が上唇を噛んでいるので、高い美しい鼻は高慢らしくも見え・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 爺いさんは黙って少し離れた所に腰を掛けた。 一本腕が語り続けた。「糞。冬になりゃあ、こんな天気になるのは知れているのだ。出掛けさえしなけりゃあいいのだ。おれの靴は水が染みて海綿のようになってけつかる。」こう言い掛けて相手を見た。・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・是れも所謂言葉の采配、又売物の掛直同様にして、斯くまでに厳しく警めたらば少しは注意する者もあらんなど、浅墓なる教訓なれば夫れまでのことなれども、真実真面目に古礼を守らしめんとするに於ては、唯表向の儀式のみに止まりて裏面に却て大なる不都合を生・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 併し、これは少しく説明を要する。 私のは、普通の文学者的に文学を愛好したというんじゃない。寧ろロシアの文学者が取扱う問題、即ち社会現象――これに対しては、東洋豪傑流の肌ではまるで頭に無かったことなんだが――を文学上から観察し、解剖・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・新進文士でも二三の作が少し評判がいいと、すぐに住いや暮しを工面する。ちょいと大使館書記官くらいな体裁にはなってしまう。「当代の文士は商賈の間に没頭せり」と書いた Porto-Riche は、実にわれを欺かずである。 ピエエル・オオビュル・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・この音楽がもう少しこのまま聞えていて、己の心を感動させてくれれば好い。これを聞いている間は、何だか己の性命が暖かく面白く昔に帰るような。そして今まで燃えた事のある甘い焔が悉く再生して凝り固った上皮を解かしてしまって燃え立つようだ。この良心の・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
出典:青空文庫