・・・もちろんこの国の文明は我々人間の国の文明――少なくとも日本の文明などとあまり大差はありません。往来に面した客間の隅には小さいピアノが一台あり、それからまた壁には額縁へ入れたエッティングなども懸っていました。ただ肝腎の家をはじめ、テエブルや椅・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・活動写真は今のように大きい幕に映るのではない。少なくとも画面の大きさはやっと六尺に四尺くらいである。それから写真の話もまた今のように複雑ではない。僕はその晩の写真のうちに魚を釣っていた男が一人、大きい魚が針にかかったため、水の中へまっさかさ・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・「来たるべき文化がプロレタリアによって築かれるものならば、それは純粋にプロレタリア自身が有する思想と活力とによって築かれねばならぬ。少なくともそういう覚悟をもってその文化を築こうという人は立ち上がらねばならぬ。同時に、その文化の出現を信ずる・・・ 有島武郎 「広津氏に答う」
・・・中庸というものは二つの道以下のものであるかもしれないが、少なくとも二つの道以上のものではない。詭弁である、虚偽である、夢想である。世を済う術数である。 人を救う道ではない。 中庸の徳が説かれる所には、その背後に必ず一つの低級な目的が・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・……この辺の有島氏の考えかたはあまりに論理的、理智的であって、それらの考察を自己の情感の底に温めていない憾みがある。少なくとも、進んで新生活に参加する力なしとて、退いて旧生活を守ろうとする場合、新生活を否定しないものであるかぎり、そこに自己・・・ 有島武郎 「片信」
・・・ 未だ乞食僧を知らざる者の、かかる時不意にこの鼻に出会いなば少なくとも絶叫すべし、美人はすでに渠を知れり。且つその狂か、痴か、いずれ常識無き阿房なるを聞きたれば、驚ける気色も無くて、行水に乱鬢の毛を鏡に対して撫附けいたりけり。 蝦蟇・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・それは、君たちは今俺を撲っていい気になっているだろうが、しかし俺は少なくとも君たちよりは一寸有名な男なんだぞという、鼻持ちならぬ考えであった。 点呼がすむと、私はあわてて髪を伸ばしに掛った。やがて私の髪の毛が元通りになったある日、私は町・・・ 織田作之助 「髪」
・・・実は、おれは中等学校へは二三年通ったことはあるが、それ以上の学問は、少なくとも学校と名のつくところでは、やらなかった。当のおれが言うのだから、間違いはなかるまい。 いや、そんなことは、どうでもよい。それよりも、「丹造今日の大を成すに与っ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・結果があとさきになったけれど、誰だってそんな風に眠ってしまうあの人を見れば、折檻したくなるではないか。少なくとも小突いたり、鼻をつまんだり、そんな苛め方をしてみたくなる筈だ。嘘と思うなら、あの人と結婚してみるがいい。いいえ、誰もあの人と結婚・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・しかし彼の態度や調子は、いかにも明るくて、軽快で、そしてまた芸術家らしい純情さが溢れていたので、少なくとも私だけには、不調和な感じを与えなかった。「大出来だ! 彼かならずしも鈍骨と言うべからず……」私もつい彼の調子につりこまれてこう思わず心・・・ 葛西善蔵 「遁走」
出典:青空文庫