・・・これを聞いて、僕は春浪さんとは断乎として交を絶ったのみならず、カッフェープランタンにも再び出入しなかった。尾張町の四辻にカッフェーライオンの開店したのも当時のことであったが、僕はプランタンの遭難以来銀座辺の酒肆には一切足を踏み入れないように・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・その句また 尾張より東武に下る時牡丹蘂深くわけ出る蜂の名残かな 芭蕉 桃隣新宅自画自讃寒からぬ露や牡丹の花の蜜 同等のごとき、前者はただ季の景物として牡丹を用い、後者は牡丹を詠じてきわめて拙きものなり。蕪・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 三七年の十二月三十一日の午後、私は、重い風呂敷包みを右手にかかえて、尾張町の角から有楽町の駅へむかって歩いていた。すると、いま、名を思い出せないけれども、ある新聞の学芸部の記者の人が、「やア、どうです」 近づいてきながら、大き・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
地震前、カフェイ・ライオンの向う側に、山崎の大飾窓が陰気に鏡面を閃かせていた頃のことだ。 私はよく独りで銀座を散歩した。 尾張町の四つ角で電車を降り、大抵の時交番の側を竹川町の停留場まで行き、そこから反対側に車道を・・・ 宮本百合子 「粗末な花束」
・・・ 寺本が先祖は尾張国寺本に住んでいた寺本太郎というものであった。太郎の子内膳正は今川家に仕えた。内膳正の子が左兵衛、左兵衛の子が右衛門佐、右衛門佐の子が与左衛門で、与左衛門は朝鮮征伐のとき、加藤嘉明に属して功があった。与左衛門の子が・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・飛騨国では高山に二日、美濃国では金山に一日いて、木曽路を太田に出た。尾張国では、犬山に一日、名古屋に四日いて、東海道を宮に出て、佐屋を経て伊勢国に入り、桑名、四日市、津を廻り、松坂に三日いた。 一行が二日以上泊るのは、稀に一日の草臥・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・素二人の女は安房国朝夷郡真門村で由緒のある内木四郎右衛門と云うものの娘で、姉のるんは宝暦二年十四歳で、市ヶ谷門外の尾張中納言宗勝の奥の軽い召使になった。それから宝暦十一年尾州家では代替があって、宗睦の世になったが、るんは続いて奉公していて、・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
出典:青空文庫