・・・が、その時の私の腹の虫の居所がよほど悪かったと見えて、どうもそういうあっさりした気になれなかった。別の切符を出すのはつまり自分の無実の罪を承認する事になるような気がしたので、私はそのまま黙って車を下りてしまった。車掌は踏台から乗り出すように・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・これらの沢山の不愉快な顔が醸す一種の雰囲気は強い伝染性を持っていて、外から乗り込んで来る人の心に、すぐさま暗い影を投げないではおかない、そして多くの人の腹の虫の居所を変えさせようとする傾向がある。 自分がこういう感じを始めてはっきり自覚・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・室を異にするも、家を異にするに非ず。居所高ければもって和すべく、居所卑ければ和すべからざるの異あるのみ。 末段にいたり、なお一章を附してこの編を終えん。すべて事物の緩急軽重とは相対したる意味にて、これよりも緩なり彼よりも急なりというまで・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・りよはお許は出ても、敵を捜しには旅立たぬことになって見れば、これで未亡人とりよとの、江戸での居所さえ極めて置けば、九郎右衛門、宇平の二人は出立することが出来るのである。 りよは小笠原邸の原田夫婦が一先引き取ることになった。病身な未亡人は・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・新参小屋はほかの奴婢の居所とは別になっているのである。 奴頭が出て行くころには、もうあたりが暗くなった。この屋には燈火もない。 ―――――――――――― 翌日の朝はひどく寒かった。ゆうべは小屋に備えてある衾があま・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・今度はいずれ江戸に居所がきまったら、お佐代さんをも呼び迎えるという約束をした。藩の役をやめて、塾を開いて人に教える決心をしていたのである。 このころ仲平の学殖はようやく世間に認められて、親友にも塩谷宕陰のような立派な人が出来た。二人一し・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫