・・・社殿の雪洞も早や影の届かぬ、暗夜の中に顕れたのが、やや屈みなりに腰を捻って、その百日紅の梢を覗いた、霧に朦朧と火が映って、ほんのりと薄紅の射したのは、そこに焚落した篝火の残余である。 この明で、白い襟、烏帽子の紐の縹色なのがほのかに見え・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・の雛祭には、緋の毛氈を掛けた桃桜の壇の前に、小さな蒔絵の膳に並んで、この猪口ほどな塗椀で、一緒に蜆の汁を替えた時は、この娘が、練物のような顔のほかは、着くるんだ花の友染で、その時分から円い背を、些と背屈みに座る癖で、今もその通りなのが、こう・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・男おはむきに深切だてして、結びやるとて、居屈みしに、憚りさまやの、とて衝と裳を掲げたるを見れば、太脛はなお雪のごときに、向う脛、ずいと伸びて、針を植えたるごとき毛むくじゃらとなって、太き筋、蛇のごとくに蜿る。これに一堪りもなく気絶せり。猿の・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・ きょろんと立った連の男が、一歩返して、圧えるごとくに、握拳をぬっと突出すと、今度はその顔を屈み腰に仰向いて見て、それにも、したたかに笑ったが、またもや目を教授に向けた。 教授も堪えず、ひとり寂しくニヤニヤとしながら、半ば茫然として・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・おとよさんは少し屈み加減になって両手を風呂へ入れているから、省作の顔とおとよさんの顔とは一尺四、五寸しか離れない。おとよさんは少し化粧をしたと見え、えもいわれないよい香りがする。平生白い顔が夜目に見るせいか、匂いのかたまりかと思われるほど美・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・私の頭には、痩せた屈み腰の学生服を着た岩元君をしか想像することはできない。私は始終鎌倉に来るようになってから、一度同君を尋ねて見たいと思っていた。しかし今度こそはと思いながら、無精な私はいつも奮発できなかった。その中、同君の逝去せられたのを・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・わたくしも屈みました。 そのときわたくしは一つの花のあかしから、も一つの花へ移って行く黒い小さな蜂を見ました。「ああ、蜂が、ごらん、さっきからぶんぶんふるえているのは、月が出たので蜂が働きだしたのだよ。ごらん、もう野原いっぱい蜂がい・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
出典:青空文庫