・・・この男の商売が屠牛業であるのがおもしろい。しかしこれにはずっと以前に百十時間というレコードがあったはずだから、何かコンディションが違っていることと思われる。この話は井原西鶴の俳諧大矢数の興行を思いださせる。 これらの根気くらべのような競・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・きょうのような日に見るとその醜さがさらに強められる、こんなものや菊人形などというものに比べるとたとえば屠牛場の内部の光景のほうがまだいくらか美しいくらいだと思う。牛や豚の残骸はあれでも自然の断片である。 悪い醜い病をなおす薬を売るために・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・ その頃、見返柳の立っていた大門外の堤に佇立んで、東の方を見渡すと、地方今戸町の低い人家の屋根を越して、田圃のかなたに小塚ッ原の女郎屋の裏手が見え、堤の直ぐ下には屠牛場や元結の製造場などがあって、山谷堀へつづく一条の溝渠が横わっていた。・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・「屠牛所の生き血の崇りがあの湖にはあるのだろう」 一週間ぐらいは、その噂で持ち切っていた。 セコチャンは、自分をのみ殺した湖の、蒼黒い湖面を見下ろす墓地に、永劫に眠った。白い旗が、ヒラヒラと、彼の生前を思わせる応援旗のようにはた・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
出典:青空文庫