・・・ 下人は、頸をちぢめながら、山吹の汗袗に重ねた、紺の襖の肩を高くして門のまわりを見まわした。雨風の患のない、人目にかかる惧のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い門の上の楼へ・・・ 芥川竜之介 「羅生門」
・・・ただ南谿が記したる姉妹のこの木像のみ、外ヶ浜の沙漠の中にも緑水のあたり、花菖蒲、色のしたたるを覚ゆる事、巴、山吹のそれにも優れり。幼き頃より今もまた然り。 元禄の頃の陸奥千鳥には――木川村入口に鐙摺の岩あり、一騎立の細道なり、少し行きて・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ 堂とは一町ばかり間をおいた、この樹の許から、桜草、菫、山吹、植木屋の路を開き初めて、長閑に春めく蝶々簪、娘たちの宵出の姿。酸漿屋の店から灯が点れて、絵草紙屋、小間物店の、夜の錦に、紅を織り込む賑となった。 が、引続いた火沙汰のため・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
山吹つつじが盛だのに、その日の寒さは、俥の上で幾度も外套の袖をひしひしと引合せた。 夏草やつわものどもが、という芭蕉の碑が古塚の上に立って、そのうしろに藤原氏三代栄華の時、竜頭の船を泛べ、管絃の袖を飜し、みめよき女たち・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・ 白い、静な、曇った日に、山吹も色が浅い、小流に、苔蒸した石の橋が架って、その奥に大きくはありませんが深く神寂びた社があって、大木の杉がすらすらと杉なりに並んでいます。入口の石の鳥居の左に、とりわけ暗く聳えた杉の下に、形はつい通りであり・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・ 一二軒、また二三軒。山吹、さつきが、淡い紅に、薄い黄に、その背戸、垣根に咲くのが、森の中の夜があけかかるように目に映ると、同時に、そこに言合せたごとく、人影が顕われて、門に立ち、籬に立つ。 村人よ、里人よ。その姿の、轍の陰にかくれ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ありたけの飛石――と言っても五つばかり――を漫に渡ると、湿けた窪地で、すぐ上が荵や苔、竜の髯の石垣の崖になる、片隅に山吹があって、こんもりした躑躅が並んで植っていて、垣どなりの灯が、ちらちらと透くほどに二、三輪咲残った……その茂った葉の、蔭・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ 二 公園の入口に、樹林を背戸に、蓮池を庭に、柳、藤、桜、山吹など、飛々に名に呼ばれた茶店がある。 紫玉が、いま腰を掛けたのは柳の茶屋というのであった。が、紅い襷で、色白な娘が運んだ、煎茶と煙草盆を袖に控えて・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・両側をきれいな細流が走って、背戸、籬の日向に、若木の藤が、結綿の切をうつむけたように優しく咲き、屋根に蔭つくる樹の下に、山吹が浅く水に笑う……家ごとに申合せたようである。 記者がうっかり見愡れた時、主人が片膝を引いて、前へ屈んで、「辰さ・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・冬籠の窓が開いて、軒、廂の雪がこいが除れると、北風に轟々と鳴通した荒海の浪の響も、春風の音にかわって、梅、桜、椿、山吹、桃も李も一斉に開いて、女たちの眉、唇、裾八口の色も皆花のように、はらりと咲く。羽子も手鞠もこの頃から。で、追羽子の音、手・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
出典:青空文庫