・・・二人はよく山の峡間の渓川に山やまばえを釣りに行ったものでございます。山岸の一方が淵になって蒼々と湛え、こちらは浅く瀬になっていますから、私どもはその瀬に立って糸を淵に投げ込んで釣るのでございます。見上げると両側の山は切り削いだように突っ立っ・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・、このごろ、涙もろくなってしまって、どうしたのでしょう、地平のこと、佐藤さんのこと、佐藤さんの奥様のこと、井伏さんのこと、井伏さんの奥さんのこと、家人の叔父吉沢さんのこと、飛島さんのこと、檀君のこと、山岸外史の愛情、順々にお知らせしようつも・・・ 太宰治 「喝采」
・・・ からだが丈夫になってから、三田君は、三田君の下宿のちかくの、山岸さんのお宅へ行って、熱心に詩の勉強をはじめた様子であった。山岸さんは、私たちの先輩の篤実な文学者であり、三田君だけでなく、他の四、五人の学生の小説や詩の勉強を、誠意を以て・・・ 太宰治 「散華」
・・・友人、山岸外史君から手紙をもらった。(「走れメロス」その義、神 亀井勝一郎君からも手紙をもらった。 友人は、ありがたいものである。一巻の創作集の中から、作者の意図を、あやまたず摘出してくれる。山岸君も、亀井君も、お座なりを言・・・ 太宰治 「自作を語る」
・・・先輩の山岸外史氏の説に依ると、貨幣のどっさりはいっている財布を、懐にいれて歩いていると、胃腸が冷えて病気になるそうである。それは銅銭ばかりいれて歩くからではないかと反問したら、いや紙幣でも同じ事だ、あの紙は、たいへん冷く、あれを懐にいれて歩・・・ 太宰治 「「晩年」と「女生徒」」
・・・十月号所載山岸外史の「デカダン論」は細心鏤刻の文章にして、よきものに触れたき者は、これを読め。「衰運」におくる言葉 ひややかにみづをたたへて かくあればひとはしらじな ひをふきしやまのあととも 右は・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ 月 日。 五尺七寸の毛むくじゃら。含羞のために死す。そんな文句を思い浮べ、ひとりでくすくす笑った。 月 日。 山岸外史氏来訪。四面そ歌だね、と私が言うと、いや、二面そ歌くらいだ、と訂正した。美しく笑っていた。 ・・・ 太宰治 「悶悶日記」
・・・「そいならあの新田の山岸はんの事ったっしゃろ。 あそこの旦はんと父はんとは知合うてやもん、何でもない事ってっしゃろ。「あの先の主人の政吉はんとは知っとるが、この頃では、東京の学校を卒った二番目の息子が何でもさばいて、あの人はもう・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・小説はそういう心持にアサが辿りつくまでの経緯、腕のいい職工であるが勝気で古い母に圧せられ勝な良人の山岸との心持の交錯、大変物わかりのよい職長梶井のうごきなどを語って展開されているのである。 深い興味をもって読んだが、この長篇の前半と後半・・・ 宮本百合子 「徳永直の「はたらく人々」」
・・・一月六日の時事新報二面のトップに「五・一五事件山岸中尉の新生」という見出しの写真入り記事があったのをごらんでしたろう。昭和七年五月十五日に永田町の首相官邸で当時の首相であった犬養毅を射殺した一団のテロリスト将校がありました。前年にいわゆる満・・・ 宮本百合子 「ファシズムは生きている」
出典:青空文庫