・・・しかし御用部屋の山崎勘左衛門、御納戸掛の岩田内蔵之助、御勝手方の上木九郎右衛門――この三人の役人だけは思わず、眉をひそめたのである。 加州一藩の経済にとっては、勿論、金無垢の煙管一本の費用くらいは、何でもない。が、賀節朔望二十八日の登城・・・ 芥川竜之介 「煙管」
大阪は「だす」であり、京都は「どす」である。大阪から京都へ行く途中、山崎あたりへ来ると、急に気温が下って、ああ京都へはいったんだなと感ずるという意味の谷崎潤一郎氏の文章を、どこかで読んだことがあるが、大阪の「DAS」が京都・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・京のどすが大阪のだすと擦れ違うのは山崎あたりゆえ、伏見はなお京言葉である。自然彦根育ちの登勢にはおちりが京塵紙、あんぽんたんが菓子の名などと覚えねばならぬ名前だけでも数えきれぬくらい多かったが、それでも一月たつともう登勢の言葉は姑も嗤えなか・・・ 織田作之助 「螢」
・・・のでもこわれるような音をたてる……。所謂「十二月一日事件」の夜明頃などは、空気までそのまゝの形で凍えていたような「しばれ」だったよ。 あの「ガラ/\」の山崎のお母さんでさえ、引張られて行く自分の息子よりも、こんな日の朝まだ夜も明けないう・・・ 小林多喜二 「母たち」
書房を展開せられて、もう五周年記念日を迎えられる由、おめでとう存じます。書房主山崎剛平氏は、私でさえ、ひそかに舌を巻いて驚いたほどの、ずぶの夢想家でありました。夢想家が、この世で成功したというためしは、古今東西にわたって、・・・ 太宰治 「砂子屋」
・・・たくまずして、砂子屋書房主人、山崎剛平氏に、ばとんをお渡ししなければならなくなった。私の本がどれくらい、売れるであろうか。私の本の装釘は、うまく行くであろうか。潮どきと鴎と浪の関係。 附記。これは、半ば以上、私の本の、広告のため・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ いつであったか、銀座資生堂楼上ではじめて山崎斌氏の草木染めの織物を見たときになぜか涙の出そうなほどなつかしい気がした。そのなつかしさの中にはおそらく自分の子供の時分のこうした体験の追憶が無意識に活動していたものと思われる。またことしの・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・幸いに天気あまり暑からざればさまでに苦しからず。山崎を過ぐれば与一兵衛の家はと聞けど知る人なし。勘平らしき男も見えず、ただ隣りの男の眼付やゝ定九郎らしきばかりなり。五十くらいの田舎女の櫛取り出して頻りに髪梳るをどちらまでと問えば「京まで行く・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・ 自分は折々天下堂の三階の屋根裏に上って都会の眺望を楽しんだ。山崎洋服店の裁縫師でもなく、天賞堂の店員でもないわれわれが、銀座界隈の鳥瞰図を楽もうとすれば、この天下堂の梯子段を上るのが一番軽便な手段である。茲まで高く上って見ると、東・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・僅かに社会党の山崎道子氏が、多年社会事業方面の事業の経験者であり、共産党の柄沢とし子氏が、労働組合活動の深い経験をもっているのが目につく。一人一人の婦人代議士についてきけば、それぞれに立志伝はあるであろう。小学校訓導をふり出しにして、今は高・・・ 宮本百合子 「一票の教訓」
出典:青空文庫