・・・またシュールの画家岡本太郎氏のように、十五六歳からの十余年をパリで生活して、日本へかえるとすぐ頭を丸刈りにされて侵略戦争にうちこまれた人の心と体の経験には、どんな深い裂けめが開かれたことだろう。その裂けめから彼の人間性に反射するのは何の思い・・・ 宮本百合子 「それらの国々でも」
・・・におられたころ幾つかの絵でおなじみの矢部友衛さん、岡本唐貴さん、寺島貞志さんその他の方々が、現実会の会員として、あの展覧会に出されていた作品は、あの頃と今日と十数年の間に、日本のすべての芸術家が人生の現実と芸術上のリアリズムの問題とでどんな・・・ 宮本百合子 「第一回日本アンデパンダン展批評」
・・・ 文学がどんなに社会的な性質をもっているものであるかということは、婦人作家として近頃進み出して来ている女のひとたちの生活と作風とが雄弁に語っていると思う。岡本かの子氏、小山いと子氏、川上喜久子氏、いずれもそれぞれ生活にゆとりのある中年の・・・ 宮本百合子 「婦人作家の今日」
・・・たとえば岡本かの子氏、林芙美子氏のある種の文章がそうである。一人の作家が、秘密な使につかわれたことそのことは作家としての名誉ではないのである。装飾でもないのである。そういう面で役に立つならば、役に立てた人に対する徳義として沈黙しているべきこ・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・一方の柱に岡本未と云う小さい表札がうってある。「此処だろう」 家主は牛込に居た。其処でAは一つ門の中に二軒の家のある、此処を教わって来たのであった。 建仁寺のひどく壊れた外廻りを見廻し、自分は黙って潜り戸をあけた。そして、左右に・・・ 宮本百合子 「又、家」
・・・ふだん其等の人々の書いていらっしゃる言葉づかいと、何かちがって受け身な言葉づかいで、妙に襷をかけて膝をついたり、旗をヒラヒラやって涙ぐむのが、慰めの定型のようでもある。岡本かの子さんは、近頃一貫してああいう感情表現をしていられるが、村や店先・・・ 宮本百合子 「身ぶりならぬ慰めを」
・・・精進の気遽に高まり、岡本市太郎氏夫妻から最少限度の生活費を十ヵ月間恩借。すべてを勉強に打込む。傍らストリンドベリイの「死の舞踊」を翻訳し、洛陽堂から出版。 一九一七年。舞台協会の監督となって武者小路の「その妹」を演出する。この年結婚した・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・蜜柑、橙々の枝もたわわに実ったのを見たら、岡本かの子の歌を連想した。南画的樹木多し。私達の部屋の障子をあけると大椎樹の下に、宿の吊橋が見える。十二月二十九日 昨日の天候は特別であった由。今日は寒い。隣の尺八氏のところへ、客あり。・・・ 宮本百合子 「湯ヶ島の数日」
・・・ その友人は岡本保三と言って、後に内務省の役人になり、樺太庁の長官のすぐ下の役などをやった。明治三十九年の三月に中学を卒業して、初めて東京に出てくる時にも一緒の汽車であった。中央大学の予備科に一、二か月席を置いたのも一緒であった。それが・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫